大阪市立栄小学校

2019/08/08 09:17 更新
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沿革

出来事
明治4(1871)年 西大組南町(旧渡邊村)の人びとは、小学校設立の願い出を出し、許可される。
(学制発布の1年前)
大阪府小学校の付属小学校となる。
明治5(1872)年 西大組第22区小学校として徳浄寺内に創立する。
明治8(1875)年 第1期校舎完成。当時東洋一といわれた。
建設費・運営費については、地域住民で負担した。
明治11(1878)年 第2中学区西区公立栄小学校と改称する。
明治12(1879)年 栄町以下10か町が西成郡に編入され、西成郡公立栄小学校となる。
明治20(1887)年 西成郡栄尋常小学校と改称。
明治21(1888)年 栄尋常小学校の中に栄簡易小学校ができる。
明治22(1889)年 文部大臣榎本武揚が、栄小学校を視察する。
明治23(1890)年 栄尋常小学校の中に西成郡栄高等小学校ができる。
裁縫科を付設する。
明治26(1893)年 西成郡栄尋常高等小学校となる。
明治30(1897)年 大阪市栄尋常高等小学校となる。
明治35(1902)年 裁縫科を栄裁縫学校とする。
明治41(1908)年 第2期校舎完成・移転。建設費の7割を校区で負担する。
明治44(1911)年 私立有隣尋常小学校が開校する。(後に公立に移管、南栄国民学校となる)
大正9(1920)年 栄尋常高等小学校の中に栄商業補修学校をおく。
大正10(1921)年 大阪市栄第1尋常高等小学校と改称。
大正11(1922)年 大阪市栄第2尋常小学校が開校し、校区を分割する。
大正13(1924)年 併設の栄裁縫学校を栄家政女学校と改称。
昭和3(1928)年 第3期校舎完成・移転(現・大阪人権博物館)。
第2期校舎の校地を売った代金と住民の寄付により建設する。
昭和14(1939)年 栄第1尋常高等小学校の中に栄第1商業青年学校をつくる。
昭和16(1941)年 大阪市栄国民学校と改称。
栄第2尋常小学校が大阪市東栄国民学校と改称。
昭和20(1945)年 高等科(男子)をなくし、初等科だけとする。
東栄国民学校が空襲のため全焼、大国国民学校に同居する。
昭和21(1946)年 栄国民学校に、東栄・南栄国民学校が統合される。
昭和22(1947)年 大阪市立栄小学校と改称。
昭和25(1950)年 ジェーン台風来襲、倒壊家屋百数十戸に及び最大3500名の罹災者を本校に収容する。
昭和27(1952)年 創立80周年記念式典を挙行する。
昭和38(1963)年 文部省・大阪市教育委員会の同和教育研究指定校として、研究発表を行う。
昭和42(1967)年 文部省・大阪市教育委員会の同和教育研究指定校として、研究発表を行う。
昭和47(1972)年 創立100周年記念式典を挙行する。(現在の栄小学校校歌を制定する)
昭和50(1975)年 第4期校舎完成・移転。差別のない町づくりの一環として建設される。
昭和54(1979)年 立葉小学校の通学区域の一部が栄小に編入される。
平成7(1995)年 民族学級が開講する。
平成8(1996)年 パソコンルームが完成する。
平成9(1997)年 歴史資料室が完成する。
平成12(2000)年 大阪市教育委員会の研究指定「総合的な学習の時間」を受け、公開授業・研究発表を行う。
平成13(2001)年 日本学校歯科医会主催「全日本よい歯の学校」に選ばれ表彰をうける。
歴史学習室 (生涯学習ル−ム)が完成する。
平成15(2003)年 大阪市教育委員会 指定「学校活性化事業」の公開授業・研究発表を行う。
「大阪市教育改革フォーラム2003」で、本校の学力向上の取り組みを紹介する。
『生活科の森』『栄小美路場(翌年、児童会にて名前を決める)』完成する。
平成17(2005)年 文部科学省 指定「学力向上フロンティアスクール」(2年間)の公開授業・研究発表を行う。
平成19(2007)年 文部科学省 指定「伝え合う力を養う調査研究事業」 (2年間)の公開授業・研究発表を行う。
平成21(2009)年 文部科学省 指定「人権教育研究指定校」 (2年間)の公開授業・研究発表を行う。
平成22(2010)年 大阪市教育委員会 指定「研究支援事業」今日的課題研究の公開授業・研究発表を行う。
平成23(2011)年 大阪市教育委員会 指定「研究支援事業」今日的課題研究の公開授業・研究発表を行う。
平成24(2012)年 大阪市教育委員会 指定「研究支援事業」今日的課題研究の公開授業・研究発表を行う。
平成26(2014)年 第5期校舎完成・移転。もと浪速青少年会館を改修。
栄小沿革写真1

栄小沿革写真2

栄小沿革写真3

栄小沿革写真4

栄小沿革写真5