大阪市立敷津浦小学校

2024/03/28 19:22 更新

学校1.jpg優良化認定2023

沿革

出来事
1872年
(明治5年)
学制が全国にしかれ、全国各地に小学校が作られる。
本校校区の人々は、はじめ住吉神社の
神主さんの家の一部に設けられた小学校に通っていた。
1874年
(明治7年)
11月5日北島の祐貞寺に分教所が作られる。
学校が遠いことや、学校で勉強することの大切さを
みんなが分かっていなかったので、通学する児童がすごく少なかった。
しかし、村人の強い願いにより設立された。
1875年
(明治8年)
北島簡易小学校と校名が変わる。
1891年
(明治24年)
北島尋常小学校と校名が変わる。
1893年
(明治26年)
祐貞寺の分教所が狭くなったので、南加賀屋4丁目に
新校舎を建設して移転、校名を敷津浦尋常小学校と変更する。
1922年
(大正11年)
現在地に移転。
敷津浦高等尋常小学校と校名を変更する。
敷津村が大阪市に編入され、大阪市立敷津尋常小学校となる。
1934年
(昭和9年)
9月21日第1室戸台風の直撃を受け校舎が倒壊する。
1938年
(昭和13年)
敷津浦尋常高等小学校と校名を変更する。
1941年
(昭和16年)
敷津浦国民学校と校名を変更する。
1944年
(昭和19年)
第1回学童疎開
1945年
(昭和20年)
第2回学童疎開
6月15日空襲により校舎焼失。
1947年
(昭和22年)
大阪市立敷津浦小学校と校名を変更する。
1949年
(昭和24年)
校地拡張
1953年
(昭和28年)
南鉄筋校舎完成
1959年
(昭和34年)
講堂棟完成
1960年
(昭和35年)
西館・プール完成
1962年
(昭和37年)
中庭完成
1963年
(昭和38年)
潮風の像設置
1967年
(昭和42年)
図書館完成
1969年
(昭和44年)
同和教育推進校となる。
1972年
(昭和47年)
北校舎完成
1977年
(昭和52年)
ピロティー完成
1983年
(昭和58年)
校地拡張
1985年
(昭和60年)
体育館完成
1986年
(昭和61年)
プール完成
1987年
(昭和62年)
学習園・飼育小屋完成
1988年
(昭和63年)
校地拡張
1991年
(平成3年)
校舎の窓サッシ化
1998年
(平成10年)
エレベーターの設置
2008年
(平成20年)
校舎耐震工事