大和川清掃

わたしたちの大和川

今、大和川は日本1位、2位を争う汚い川だといわれています。
 我家のベランダからは大和川が見えます。でも、汚い川には全く見えません。
 私の中学校では、学年ごとに大和川清掃というボランティア活動をします。
そこで、大和川はやっぱり汚いんだということに気が付きました。
岸には、たくさんの缶詰がころがっていました。
なぜか、大きなぬいぐるみまでありました。
一体、どんな人が何を思ってそんな物を捨てるのでしょう。
私にはわかりません。
 でも、大和川には鳥がしばしば来ます。
真っ白な鳥や、その他のいろいろな種類の鳥も来ます。
私が思うに、鳥がやってくるような川ならきれいだと思うのですが。
 現実汚い川なら、鳥なんて来ないと思います。
でも、他の川がそれだけきれいなんだなと思うと、大和川をもっときれいにしなければいけないんだなぁ、と思います。
そして、中学校での行事の一つでもある、大和川清掃をもっともっとがんばろうと思います。
今年私の学年では、ニ学期にあります。
だから、今度の清掃の時もがんばりたいです。
 それに、私の中学校は大和川中学校という名前です。
そんな、汚い川で知られている川と同じ名前では、あまり気分がよくありません。
昔は、泳げるようなきれいな川だったそうです。
 日本一きれいな川になるようにするには、まだまだ時間がいると思うけれど、せめて、昔のように、夏になったら、プールに行かなくても、
みんなで楽しく泳げるような、そんな川になるように、私たちはこれからもがんばります。
そして、川にゴミを捨てることは、しないように一人一人に協力してほしいです。

大和川中学校  曽我部 加菜

大和川清掃が表彰されました!!

大和川清掃

読めますか? 大和川にまつわる面白難読地名

河堀口(こぼれぐち)

延暦元年、和気清麻呂は桓武天皇から摂津、河内地方の水害対策を命ぜられ、茶臼山の南東から開削を初めましたが、治水工事は未完成に終わりました。その治水工事を始めたところを河堀口(かわほりぐち)と呼び、その後転訛して「こぼれぐち」といわれるようになりました。

帯解寺(おびとけでら)

平安時代初め、文徳天皇の后染殿皇后(藤原明子)が安産を祈願され、清和天皇を無事ご出産されたところから帯解寺の名がついたといわれます。現在もこの故事に倣って安産祈願の寺として有名です。

遠里小野(おりおの)

同地が古くから染料や灯明用として重用された樹木のハリ(ハンノキ)、食用のヒメウリの産地だったため、「ハリ小野」、「ウリ野」などと呼ばれていたのが「おりおの」に変化したといわれています。

喜連(きれ)

高句麗の「句麗(くれい)」が転訛したものという説が有名です。古く大阪市平野区あたりは大陸から渡来してきた伎楽に秀でた人たちが住んでいて「伎人郷(くれのごう)」と呼ばれていました。この「伎人(くれ)」が後に久礼となり、室町時代ごろから「喜連(きれ)」に変化したといわれて います。

瓜破(うりわり)

大化年間、道昭という僧が当地の庵で祈っていたところ、天から光明とともに御神体が降りてきたので瓜を割(破)ってお供えし社殿を造営したところから瓜破という名がついたといわれています。

放出(はなてん)

昔は「はなちで」と呼ばれていました。この地はかつて河内湖からの湖水が旧大和川と寝屋川の流れと合流して淀川に注ぐあたりに位置し、旧大和川の氾濫が多かったことから、この地に樋を作りその水を調節して水を「放」ち「出」したところから、この名が起こったといわれています。

雁多尾畑(かりんどおばた)

生駒山地南部に位置します。このあたりは古代には金属の生産に関係があったとされており、雁は朝鮮語の「カル」つまり刃物のことを意味し、多尾を「ワタ」すなわち峠の意味と解する説もあります。