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阪神淡路大震災から20年、そして東日本大震災から4年

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 1月17日(土)は阪神淡路大震災からちょうど20年目となる日でした。
 君たちはまだ生まれる前のことですが、私も含めて、ご両親などの世代はあの日のことを鮮明に記憶しているはずです。
 大阪でも「近くで爆弾がおちたかな?」というぐらいの大きな音と共に突き上げるような揺れがしばらく続きました。電気・ガス・水道は一斉に止まり、繰り返す余震の中、這うようにして家族の安否を確認するのがやっとでした。真冬のとても寒い日で、まだ外は真っ暗闇。懐中電灯とようやくみつけたロウソクの明かりをたよりに、旧式の石油ストーブで家族が肩を寄せ合って暖をとりました。
 ラジオからは、神戸方面で被害が大きく、家屋やビルの倒壊、あちこちから火災が発生しているという報道がありました。改めて大変な地震が起こったのだとわかりました。
 この時、実際に神戸に住んでおられた平岡先生(技術科の先生として本校で退職されました)がその体験談をみなさんに話をしてくださいました。大きく傾いた自宅の様子、命からがら辿り着いた避難所での生活、復旧までの苦労など、大阪に住んでいた私たちからは想像もできないほどの困難が待ち受けていたとのこと。
 そのような神戸も表面上はようやく復旧したかな、と思っていた矢先に今度は東日本大震災が起こりました。4年前のことです。
 岩手県釜石市周辺は、地震による津波の被害に遭いやすいリアス式海岸の地形にそっています。これまでも多くの被害があり、住民は防災について真剣に取り組んできた歴史があります。中学生も例外ではありません。釜石東中学校では「津波てんでんこ」といって、津波がやってきたら、我先に自らの命を守るために逃げ延びよう。そして、他の人の命を救える人になろう。繰り返し避難訓練をしたといいます。
 君たちと同じ年頃の中学生が、小学生の手を引いて必死に山道を登っていく一枚の報道写真を忘れることができません。
 死者不明者が一人もなく、後に「釜石の奇跡」などとマスコミでさかんに報道されますが、これは地道に小中学生が真剣に防災訓練に取り組んできた成果です。
 しかしながら、釜石東中学校の校舎は津波に呑み込まれ、生徒のほとんどが被災し、授業や部活動はもちろん、3年生が楽しみにしていた修学旅行もままならない避難生活を強いられることになります。
 この話を聞いた大阪市が「関西の修学旅行」をプレゼントしようと働きかけました。その道中で本校での交流が実現したのです。ともにタコヤキを作って味わってもらい、コーラスやソーラン踊りの交流もありました。支援の募金を渡し、今後とも互いに頑張ることを誓い合いました。本校の正面玄関にその時の新聞や写真が展示してあります。
 その後も生徒会では釜石東中学校とメールや手紙で交流をつづけてきました。この夏休みに生徒会顧問の杉本先生が現地の今の様子を視察に行ってくれ、まとめたものを生徒会執行部が文化活動発表会で報告しました。釜石東中学校は4年たった今でも仮設の校舎です。町の至る所で津波の被害の様子が残っているとのこと。
 大阪に住み、何不自由なく暮らしている私たちとのギャップをどう考えるべきでしょうか。震災のことを学ぶのは自らの命をどう守るか、生き延びて、どう家族や周りの人を救うか「自らの生き方を学ぶ」ことだと言えます。
 本校では区役所や消防署の協力も得て、2月7日の土曜授業で「防災訓練」を行います。また、地域の方からもメッセージをいただきます。釜石東中学校の仲間と交流をした上町中学校の生徒としてはずかしくないよう、今ある自分を振り返り、自らの成長のために真剣に取り組みましょう。
                             校 長  林 田 国 彦

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