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修了式 そして春休み

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R4.3.24.Thu.

修了式を終え
教職員総出で子どもたちを玄関で見送り

1年生の机椅子のキャップ交換の職員作業を行いました

いよいよ新年度準備です

掲示ボードは磯路三丁目
大和木材さん

二度目の卒業式

R4.3.22.(火)

欠席児童の卒業式を行いました

有志児童(ほとんど参加)も列席して
標準服で
私もきちんと礼服で
二度目の式辞を述べました
黒柳徹子さんの話を引用して

卒業式式辞で話した
してもらう自分から
してあげる自分に、とか
大切だけど実はどうでもよくて

生きることは働くこと
働くことはお金を稼ぐことだけでなく
周りを幸せにすること

あなたが元気に生きてるだけで
お母さんお父さんだけでなく
すべての
周りを幸せにするのです

どうか
元気に生きてください、と

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私が会った子どもたちは、
みんな可愛かった。

笑っている子ども、
ふざけている子ども、

赤ちゃんを、おんぶした女の子、

さかだちを自慢そうに
見せてくれた男の子、

いっしょにうたった子ども、

どこまでも、ついてきた子ども。

いろんな子どもたちに、会った。

そして両親や姉兄を
目の前で殺された子ども、

ゲリラに腕や足を
切り取られた子ども、

親が蒸発し、
小さい弟や妹を残された女の子、

親友だった家畜が、飢えて
死んでしまいぼう然としていた男の子、

家も学校も、
すべて破壊されてしまった子ども、

難民キャンプを、
たらいまわしにされている孤児たち、

家族を養うために売春する子ども。

だけど、だけど、
そんな、ひどい状況のなかで、

自殺をした子どもは、
一人もいない、と聞いた。

希望も何もない
難民キャンプでも一人も、いない、と。

私は、ほうぼうで聞いて歩いた。

「自殺をした子は、いませんか?」

「一人も、いないのです」

私は、骨が見えるくらい痩せて
骸骨のようになりながらも、

一生懸命に歩いている子を
見ながら一人で泣いた。

『日本では、子どもが、
 自殺してるんです。』

大きい声で叫びたかった。

こんな悲しいことが、
あるでしょうか。

豊かさとは、なんなの?

私がいろんな子どもに会って
日本の子どもに伝えたかったこと。

それは、もし、この発展途上国の
子どもたちを、

「可哀想」と思うなら、

「助けてあげたい」と思うなら、

いま、あなたの隣にいる友達と

「いっしょにやっていこうよ」と話して。

「みんなで、いっしょに生きていこう」
と、手をつないで。

私の小学校、
トットちゃんの学校には
体の不自由な子が何人もいた。

私のいちばんの仲良しは
ポリオ(小児マヒ)の男の子だった。

校長先生は、
一度もそういう子どもたちを

「助けてあげなさい」とか

「手をかしてあげなさい。」とか、
いわなかった。

いつも、いったことは、

「みんないっしょだよ。
 いっしょにやるんだよ」

それだけだった。

だから私たちは、
なんでもいっしょにやった。

誰だって友だちがほしい。

肩を組んでいっしょに笑いたい。

飢えてる子どもだって、
日本の子どもと

友だちになりたい、と
思ってるんですから。

これが、みなさんに、
私が伝えたかったことです。

黒柳 徹子

卒業おめでとう!

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令和三年度 卒業式 式辞

 磯路小学校を旅立つ六年生の皆さん、卒業おめでとうございます。
 あんなに小さくて可愛らしかった一年生が、年ごとに成長して、こんなに大きくなりました。あの子、あの子が転校していきました。この子、この子が転校して来ました。あの子もどの子も、すべての六年生たちが、間もなく、桜の花が満開になる、来週・再来週にはもう中学生です。

 君たちは、おぎゃーとこの世に生まれてから今まで、たくさんのものを譲り受けてきました。お腹がすいたといっては泣き、眠いといっては泣き、淋しいといっては泣き、何一つ自分ではできませんでした。ご家族の皆さんの愛情をたっぷりと受け、すくすく成長し、小学校生活六年間で、自分のことは自分でできるようになってきました。これからは、人のために何かできる、人の役に立てる人に、「してもらう人」から「してあげる人」になってほしいと願います。そして、いよいよ中学生。中学校で何をするのか、何のために中学校に行くのか、中学校生活最大のめあては「大人になる」ことです。体も、頭も、心も、大きく成長して、三年後の姿を今から楽しみにしています。

 人生何が起こるかわかりません。
 元気ですか?がらがらボイスの時間です。
 君たちとの出会いは、一方的な、YouTubeであり、テレビを通してでした。君たちとはじめて出会ったのは、五年生の五月十三日、分散登校の日でした。それ以来、様々な制約のなかで、マスク越しにコロナの非日常を過ごしてきました。

 今、君たちを前にしてまず思い出すのは、秋の林間学習です。爽やかな秋晴れの鉢伏登山が一転して、雲に覆われ雨の下山。お昼にお風呂に入ってからの暗闇でのカレー作り。君たちは身をもって「臨機応変」を体験しました。その苦楽をともにしてこその「ワンチーム」。好きなもんどうしの「友だち」だけなく、ともに学ぶ「仲間」として最高学年を迎えました。

 その六年生になって、いきなり「来週からオンライン学習」。一人一台端末持ち帰り。九月になって二週間の学年休業、オンライン授業。今まで体験したことのない新たな生活。
 想定外のしんどい状況で、慌て騒ぐことなく、責任転嫁、他人のせいにすることなく、今できることをする、最善を尽くす、まさに「臨機応変」、君たちも先生たちも本当によくがんばりました。その積み重ねの成果が、このオンラインハイブリッド卒業式です。今まで誰も見たことも聞いたこともない前代未聞・最先端の卒業式を今行っています。先ゆき不透明な、答えのない世界、何が起こるかわからない不安な未来を生きる力が確実に育っているのです。

 そして何よりも、平和。七十七年前の三月十三日、卒業式の前の日の夜に大阪大空襲。ここにあった音羽国民学校も磯路国民学校も焼けてなくなりました。磯路の町も燃えてなくなりました。その空襲を体験した辻和子さんのお話も直接この講堂で聞きました。皆さんが平和学習で学んだこと。この『磯路の子』に記した平和への思いを胸に、今一度、自分たちで描いたキッズゲルニカを見てみましょう。そこにはウクライナの国旗も見えます。

 本来ならそこに地域の方々がずらーっと並んで座って、皆さんの晴れ姿を見てくださっている、はずが、誰もいません。皆さん、見たかった、行きたかった、見送りたかったとおっしゃっています。卒業式には参加できないけれど、たくさんの「気持ち」を預かってきました。地域ご来賓の皆さんになりかわって、あらためて、ご卒業おめでとうございます。君たちは見えないところで、たくさんの人に見守られているのです。

 そして、五年生の皆さん、この卒業式は君たちが最高学年になる儀式でもあります。火曜日からの姿を楽しみにしています。

 最後になりましたが、保護者の皆様、お子様のご卒業、心よりおめでとうございます。大きなランドセルを背負って、足をぶらぶらさせていた子どもたちが、あっという間に中学生です。また一歩、大人への階段を上っていきます。これから先も、末永く、この子たちの成長をともに見守らせてください。本日は、本当に、おめでとうございます。

 人生まっすぐ青春まっしぐら。とことんがんばれ。
 それでも、ほんまにしんどい時は、帰っておいで。
 いつも・そこが・じぶんの居場所・い・そ・じ。
 ほな、ぼちぼちいこか。
 卒業おめでとう!

令和四年三月十八日 
大阪市立磯路小学校長   糸 井 利 則

3・13 あの日は卒業式の前日だった

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昭和20年(1945年)3月14日は
音羽国民学校(現在の磯路小学校地にあった)
磯路国民学校(現在の区民センター地にあった)
大阪市立すべての6年生の卒業式のはずでした

ところが前夜
第一次大阪大空襲で一夜にして
中央区浪速区西区大正区そして港区が焼けてなくなりました

その時
浪速区敷津国民学校4年生だった
辻和子さんに
昨年度も今年度も語り部として特別授業をしていただきました。

その辻さんから卒業前にお手紙が届きました
すぐに子どもたちに読み聞かせ、廊下にも掲示しましたが
ご本人の許可をいただき、記録のために掲載させていただきます。

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子どもたちへのお礼のことば遅くなりました。
去年の『磯路の子』の作品を合わせながら、ひとりひとりの感想文じっくり読ませていただきました。
磯路小学校のすばらしい取り組みに頭が下がる思いでおります。
ごめんなさい…連日テレビから放映される大きな爆発音、燃え盛る火の海、逃げる人の姿。
私が4年生の時の体験と同じ。
トラウマのスイッチがONになり、辛い苦しい日々です。
子どもたちには、こんな思いをさせたくないです。トラウマって消えないのですね。

6年生のみなさんへ
小学校生活もいよいよ残り少なくなりましたね。みなさん、お元気ですか。
5年生の時も6年生の今も、コロナ禍戦争の中での学校生活、今まで当たり前でやって来たことが、制限されたり、本当に大変な小学校生活でしたね。でもこれからの長い人生の中で、私のように大きな体験のひとつになるかも…と、自分自身を大切にしながら、いつも笑顔でがんばってください。
この間は、平和学習の感想文ありがとうございました。とてもうれしかったです。しっかりと聞き取ってくれて、自分のことばで書いてくれているのには感動しながら、去年いただいた「全校文集『磯路の子』」をまた5年生の思い出の作文を読み合わせながら、ひとりひとりに返事を書きたい気持ちになっています。
あたたかい雰囲気の磯路小学校、「また、ぜひ」と楽しみにしていましたが、歩行困難になり、会談の上り下りもとても無理の毎日でした。
そんな時、糸井校長先生から電話で「子どもたちが待っています!」「5年生6年生の子どもたちがみな待っています!」「迎えに行きますから」と、校長先生の熱意に「磯路の子」の文集から皆さんの顔を思い浮かべ、みなさんのおかげで目標をもち、がんばりました。
去年の11月15日、みなさんと出会えた日の事は忘れません。不安な気持ちになっていた私に、女の子が付き添ってくださり、広い会場では大きな拍手で迎えてくださり、5年生6年生の学習態度の良さに、いっぱい話をさせていただきました。
そしてお別れで会場を後にする時も、大きな拍手でいつまでも、ヨチヨチ歩きでふり返り、あいさつをすると、またひと周り大きな拍手に見送られ、感動し涙が出そうになりました。今も心に残っています。
家に帰ってからも、夜もみなさんのことはいつまでも頭から離れずに、「やれば出来る。出来ないのはやらないからだ」のことばを思い返しながら、磯路小学校のみなさんのやさしさに感謝し、幸せをかみしめております。
本当にありがとうございました。磯路小学校での思い出いっぱいを胸に、笑顔で巣立ってくださいね。みなさんの健康と幸せを祈っています。
卒業式の日、祝電を送りますね。

5年生のみなさんへ
平和学習の感想文ありがとうございました。私の身体を労ることばをいっぱい書いてくださっているやさしいみなさんに感動し、本当にうれしく喜んでいます。
そして、去年いただいた『磯路の子』をまた広げ、4年生の作品と感想文を合わせてじっくり読みながら、ひとりひとりにお返事を書きたい気持ちでおります。
会場ではどちらが5年生かなと思ったくらい、6年生と一緒にしっかりとした学習態度で聞いてくれていたみなさんにびっくりしました。立派な5年生ですね。頼もしく思いました。お別れする時、ヨチヨチ歩きの私を鳴り止まぬ大きな拍手で送りだしてくださったことには本当に感動し、涙が出そうになり、感謝と幸せな気持ちになったことは今も忘れられません。うれしかったです。
『磯路の子』とみなさんからの感想文は、私の大事な宝物です。もう一度、ありがとうございました。早くマスクをはずしたやさしいみなさんのお顔が見られますようにと、健康と幸せをお祈りいたしております。

校長発

3/15 給食

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 3/15の給食は「いわしフライ、みそしる、きゅうりの赤じそあえ、ごはん、牛乳」でした。

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