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大阪大空襲の語り部さんがテレビに

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修学旅行直前の10月7日に、6年生に戦争体験をお話しに来てくださった辻和子さんが

11月2日に、75年ぶりに初めて学童疎開で過ごした滋賀県甲賀市の母校(現・甲賀市立柏木小学校)を訪ねた様子が

11月5日の夕方、NHKニュースほっと関西で紹介されました

辻さんは、浪速区敷津国民学校4年生の時に第一次大阪大空襲で家を焼かれて生き延びて

5年生の4月から終戦をはさんで半年間、滋賀県甲賀郡水口町立水口西小学校に学童疎開(先生たちと一緒に学校挙げて)されていました

そのニュースは、しばらくの間、ネットで見ることができます

https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20201105/200...

本校も、敷津国民学校と同日同夜、昭和20年3月13日に、空襲で焼失しています

また、沿革史をたどると、磯路国民学校は、香川県仲多度郡象郷村・高篠村のお寺に

この地にあった音羽国民学校は、香川県木田郡平井町・井戸村・氷上村のお寺に、学童疎開していたようです

学校の歴史として、今こそ残しておきたい、ご存命の方々にお会いしたい、お話しを聞きたいと切に思っております

子どもたちに、22世紀まで生きる次世代に、磯路の空襲と学童疎開の歴史を伝えたい

その前に、校長として、ここに勤める者として個人的にも知りたい

「戦火の磯路」の発掘にご協力をお願いいたします

校長発
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「学校いじめ防止基本方針」

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