学校日記

歴史を訪ねて6(大塩平八郎1)

公開日
2013/08/07
更新日
2013/08/07

小学校の日記

今回は、大塩平八郎の史跡を紹介します。大塩平八郎(1793〜1837)は、天満の与力でした。与力とは、町奉行、所司代といわれる役所につとめ、同心という役の人を指図して、その仕事を助け事務を分担していました。現在の警察や、裁判所の仕事の助けをしていたのではないかと思います。
大塩平八郎は、今の造幣局(学校の裏)のある所で生まれ、幼い頃の名前は文之助と言い、後に中斉(ちゅうさい)と名乗りました。
大塩平八郎は、有能な与力でしたが、38才という若さで引退し、自宅に陽明学を教える塾を開きました。これが造幣局の住宅地の中にある「洗心洞跡」としるされている所です。