学校日記

終戦の日

公開日
2013/08/15
更新日
2013/08/15

お知らせ

今日は、68回目の終戦の日です。

「わたしたちのなかつ」という本に、戦争中の中津小学校の様子が次のように書かれています。


昭和16年 中津小学校は、中津国民学校という名前でした。
食べるものも少なく、苦しい時代でした。

昭和18年ごろから戦争がはげしくなり、都会ではいつ空襲を受けるかもしれず、あぶないので、子どもたちは集団疎開といって、いなかへ避難しました。中津国民学校は、子どものいない学校になったこともありました。
昭和19年には、京都府福知山へ、福知山がきけんになってからは、京都府天田群河合村に疎開しました。夜になると中津の父母や家族を恋しがって涙をながす友だちもいました。

昭和20年3月と6月、大阪に大空襲があり、6月の空襲で中津の町は、ほとんど焼けてしまいました。たくさんの人が亡くなったりけがをしたりしました。また、たくさんの家も焼けてしまいました。

8月15日に終戦になりましたが、大阪市の被害が大きかったため子どもたちは疎開先からすぐには帰ってこられず、その年の10月にやっと中津に帰ることができました。