阪神淡路大震災 将君のお母さんからのお手紙
- 公開日
- 2022/02/01
- 更新日
- 2022/02/01
お知らせ
「将君のホームページ」
http://shohp.sakura.ne.jp/sinsai/01.htm
1月17日の児童朝会でそのお話をしました。
その将君のお母さんにこのホームページを見ていただき、
お手紙をいただきました。
今日のオンライン児童朝会で読ませていただき
全校でお返事のお手紙を書きました。
許可をいただき、お手紙の
全文を紹介させていただきます。
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大阪市立磯路小学校 のみなさんへ
初めまして
将君のホームページの高井です。
この度、糸井 利則校長先生から、オンライン児童朝会で、私の子供の「将君と優ちゃん」のお話をしましたと連絡をいただきました。
私の知らないところでも 二人の子供のことを話してくださっていることをしり とても嬉しく思いました。将君の命は、1年半で終わってしまいましたが、校長先生が、みなさんにお話をしてくださることで 将君の命は、今もつながって生きているのかなと思うと とても嬉しいです。将君のことを話してくださった校長先生には、感謝の気持ちでいっぱいです。
みんなが生まれる ずっと前に 阪神淡路大震災という大きな地震が起こりました。
その時に、6434人という人が亡くなりました。
みんなに知って欲しいのは、6434人という 一つの数字ではなく、6434人分の命があの日亡くなってしまったことです。一人一人には、家族やお友達がいました。一人の命がなくなることで たくさんの人が辛い思いをしました。そして、その辛い思いは、27年たった今でも消えることはありません。
1月17日は、阪神淡路大震災が起こった日ですが、その日は、あの日亡くなった人の「命日」だということ、
たくさんの人が辛い思いをした日ということを考えて欲しいなと思っています。
あの日、将君と優ちゃんは、1歳6ヶ月でした。
優ちゃんは、小さかったので、地震が起こったときのこと、将君と遊んだことを覚えていません。でも、将君が亡くなってからは、写真になってしまった将君に ご飯を食べさせてあげたり 写真を抱きしめていました。
お友達が、きょうだいの話をした時には、持っていた将君の写真を友達に見せて 私のきょうだいだよと 教えてあげていました。
優ちゃんとは、ずっと将君のお話をしてきました。大人になっていろんなことがわかるようになった優ちゃんは 自分が将君のことを覚えてないことが悲しいと言いました。将君がいてくれたらもっといろんなことが楽しかったのにな、会いたいなといつも言っていました。
死んでしまって将君はここにはいないけれど、今でも優ちゃんは、将君が大好きでいてくれています。そのことが、私はすごく嬉しいです。将君は、姿は見えないけれど 優ちゃんの心の中で生き続けてくれていると思うからです。
1月17日には、神戸の東遊園地で行われている1.17のつどいに行ってきました。そこには、震災の後に生まれた中学生や高校生 大学生が ボランティアをしていました。そして、地震のことをみんなに語り継ぐ活動をしていました。
それをみた優ちゃんは、この人たちは、震災を経験していないのに どうして 語り継ぐ活動をしようと思ったのかな?言っていました。そして、自分は 覚えていないけれど地震を経験したのに そこまでできないことに対して 罪悪感を感じたようです。
私は、優ちゃんは、きょうだいを亡くして、そのことでずっと泣いているママを見て来て 辛い思いをたくさんして来たので、優ちゃんには、震災に関わることよりも 自分が楽しいことをたくさんして人生を楽しんでほしいと思っています。
今年の東遊園地では、1月16日の夕方の5時46分と 17日の朝の5時46分と夕方の5時46分に 竹筒にロウソクを入れて そこに火を灯します。あの時に家族や友達、知り合いをなくしたたくさんの人たちが、そこに集まって 亡くなった人の事を思って祈ります。
そこには、地震があった時に子供だった人たちが、大人になって結婚して子供が生まれて その子供たちを連れて来ていました。その人たちは、どうして 自分の子供をその場に連れて行ったのだと思いますか?友達や先生や家族の人たちと一緒に考えてみて欲しいです。そして、考えた事を聞かせて欲しいなと思います。
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感謝校長