4月24日(水)の午後、小雨の中を一人の男性が本校を訪ねて来られました。東京にお住まいのHさんでした。Hさんのお兄さん、お姉さんも本校に入学され、そのまま卒業されたのですが、Hさんは昭和15年に本校に入学され、太平洋戦争のために、終戦2年前の18年10月に小豆島へ縁故疎開されたそうです。
疎開先での生活はつらくて、その分、本校での生活がなおいっそう懐かしく思い出されるとおっしゃっていました。
当時の本校は、全学年「い組・ろ組・は組・に組」の4クラスで、1〜2年生は「男女組」といって、今のように男女の混成クラスでしたが、3年生以上は男女が別々になり「い組・ろ組」が「男組」、「は組・に組」が「女組」だったそうです。
今の児童と同じように、当時も大阪市歌と校歌をよく歌ったそうです。
本校の校歌は、昭和9年に野口雨情さんが作詞されたものなのですが、2番の「永久に栄える学びやの」は、校歌制定時の歌詞ではない……という声を何回か聞いたのですが、Hさんも「2番の歌詞は違いますね」とおっしゃっていました。
Hさんのお姉さんが歌詞を書き留めたものをお持ちでしたので、それを拝見しますと、1番の「稲を束ねし校章は」は同じでした。3番の「規律正しく守りつつ」は2番だったようです。そして、3番は「神を敬う心こそ 忠と孝とのはじめにて 自然を愛す心こそ 眞の徳のはじめなれ」と書かれていました。
本校は、来年度に創立100周年を迎えます。校歌にも長い歴史があるようです。
校舎を背景に、Hさんと記念写真を撮り、再会を約束してお別れしました。
※左がHさん、右が私です。この写真は、Hさんご本人の承諾を得て掲載しています。