いのちの大切さや「いじめ」について考える日
- 公開日
- 2024/05/13
- 更新日
- 2024/05/13
お知らせ
5月13日 児童朝会
今日はいのちの大切さや「いじめ」について考える日です。
だれもが、いのちは大切だと知っています。いのちは、だれにとっても1つしかなく、なくしてしまうと2度と元に戻すことができないからですね。この世にあるたいていのものは、壊れたりなくしてしまったりしたら、完全に同じではなくても、また、たとえ手間はかかったとしても、元に戻したり代わりがあったりしますが、いのちだけはどうしようもできません。だから、だれもが大切にします。
また、ほとんどの人は「いじめ」は絶対だめだと考えています。だれかが傷つくのも傷つけるのもいやだから。でも、「いじめ」はなくなっていません。いつでもどこでも、起こるかもしれません。なぜなんでしょうね。
だれもが「こういうのはいじめだ」と言える例は知っていても、実際には「これは絶対いじめだ」と言えることより「これっていじめかもしれない」「これっていじめなのかな」と悩んでしまうことのほうが多いと思いませんか。一番いいのは、やっている人が「これはいじめかも知れない」と考えてやめること、そして、されている人が「やめて」と言えるのもすごくいい。これができると「いじめ」なくなるはずです。でも、実際はどちらもすごく難しい。だから、「これっていじめかも知れない」と思った周りの人が、何ができるのかがすごく大切になります。
少し前、あるお友だちが私に「いじめかどうかはわからないけれど、こんなことを見た」と教えてくれました。いじめかどうかわからないから、話していいのかどうかも迷ったそうですが、言ってくれてすごくよかったと思います。実際、担任の先生たちが詳しく聞いたところ、いじめとは言えなくても、もしかしたらいじめになっていたかもしれないことでした。関わった人たちはよく考えることができました。
ぜひ、皆さんが「これはいじめかもしれない」と思うことに出合ったら、そのまま見過ごさず、自分にできることを考えて行動してください。