本当の問題は何?
- 公開日
- 2019/05/23
- 更新日
- 2019/05/23
学校日記
令和元年5月23日(木)モーニングコラム3
東京都千代田区立麹町中学校長・工藤勇一氏の著書『学校の「当たり前」をやめた。』(時事通信社)から麹町中学校の「学校改革」について紹介します。今回は、生徒の問題行動について考えていきます。
教育の世界では、子どもの「問題行動」について語られることがあります。「小1プロブレム」など、新しい言葉が次々と生まれ、文部科学省では解決に向けた対策を講じます。しかし、「小1プロブレム」などの言葉は、「小1はこうあるべきだ」と専門家が一定の理想を掲げ、その理想から外れた子どもたちがいると使っている言葉です。学校教育では大人たちが「問題」と捉えるからこそ、それが「問題行動」と見なされてしまうことがたくさん見られます。頭髪、服装指導、不登校が「問題」だと見なすことで問題になってしまうことと同じです。個の発達の特性に視点を置けば、そもそも問題ではなくなるのではないでしょうか。
「不登校」にしても、ベースに「学校へ行くのが当たり前」という価値観があるから「問題」と捉えられているのであって、学校が大人になるための一つの手段にすぎないという考えが普通になれば、「不登校」という言葉すら存在しなくなるでしょう。
ある行動を「問題」だと言わなければ、それは問題にはなりません。そういった視点で子どもたちを見ていくことが大切です。何かができなかったとしても、それは、その子にとっての発達の一つの場面での状況であって、周りの環境を少し変えるだけで解決できることがあります。
子どもの発達は、それぞれです。じっと座っていられないのが問題だとする「小1プロブレム」も、椅子を変えてみたり、座る場所を変えてみたり、座っている時間を変えたりすることで、全然問題ないということがあります。むしろ、「座っていなさい」と叱られることで損なわれる自己肯定感について私たちは考える必要があります。大人が作り出した問題(それは「幻想」かもしれません)で、子どもたちや、それを守らせようとする大人が疲弊していくのは残念なことです。
みなさん!どう思われましたか?みんなと同じことをすることが果たして本当に子どものためになるのか。大人の都合でやらせていることはないのか。何が問題なのか。立ち止まって考えてみませんか?
今日は2年生が校区たんけんに行きます!保護者のボランティア協力ありがとうございます。よろしくお願いします!