モヤ感!最高!
- 公開日
- 2019/09/26
- 更新日
- 2019/09/26
学校日記
令和元年9月26日(木)モーニングコラム59
「2020年からの教師問題(石川一郎 著ベスト新書)」より、
3つの問題点ふたつめ
「生徒の『モヤ感』を許容できない」
私の長年の教育現場の経験上、大半の教師は、授業が終わった後、生徒が「よくわかった」という顔をしていることが喜びなのです。それがある意味、教師の達成感なのです。(中略)
今までは、ある程度は考える時間は与える、しかし授業が終わる時間から逆算し、「自分だったらこうする」と言った答えの例を最後には提示する。そのような授業をする教師が、スキッリと授業を終えられるいい教師とされてきたと思います。
しかし、この対応に私は反対です。
その時の教師の「答え」が、「なるほど」というものであるならば、それ以上の答えはないだろうと判断して、大体の生徒はそこで思考を止めてしまうでしょう。
それが、最も問題なのです。
また生徒は、いつも教師が最後は「答え」を言ってくれることを期待し、モヤ感の世界に没入しなくなってしまいます。
「あなただったらどうするか」という問いに対して、生徒が「モヤ感」を持つのであれば、そのまま放っておけばいいのです。
(明日へ続く)
どうしてもこれまでの教師は「こうあるべきなのでここまで子どもを導かないと!」と考えてしまいがちです。子どもの「モヤ感」を「なんとかしてあげないと」と思いがちです。しかし、そこが2020年以降の教育には邪魔をしているのです。
研究授業でつくる「学習指導案」ってまさにそんなこれまでの教師感で書かれたものですよね。「指導案」を「学習案」に変えませんか?