大阪市小学校教育研究会国語部では、毎年、児童文集『大阪の子』を発行しています。これは、全市の小学校から児童の作文を募集し、その中から優秀作品を選んで冊子にしたものです。このたび、本年度発行の『大阪の子』51号に、昨年度の6年生、梶山 成(かじやま じょう)さんの作品が掲載されました。この作品には、本校の教育方針の一つである「支え合う仲間づくり」ということがよく表れています。ぜひ、ご一読ください。
縁の下の力持ち
梶山 成
ざわざわ、ざわざわ、ざわざわ。
今、ぼくは体育館で三角座りをしている。
「今からピラミッドの場所を言いますから、番号順にならんでください。」
(はあ……。また絶対土台や。)
ぼくは、体格的にというか体重的に、上へ行く可能性はゼロに近い。せめて本部からよく見える「一番」がいいのだが……。
「次っ三番。○△、○×、梶山、○□……。」
(えええ。)
ぼくはなんと、先生達いわく、「一番つらい場所」になってしまったのだ。しかも前からだけでなく、横から見ても見えない場所だ。どこからも、だれからも見えないような場所に選ばれてしまったのだ。
「何回か、ピラミッド立ててみようか。」
先生が言った。
(まあ、思ったより痛くないかもしれないし、一度やってみるか。)
「まず八番までな。」
(よしっ。がんばるぞっ。)
ぼくは心の中で、そうつぶやいた。
ずしん、ずんずんずん……。
「おおお。」
八番まで立ったようだ。あまり痛くない。よかった。
(よっしゃ。七段立てるぞ。)
だが、やってみると……。
どしん、どしん、ずしっ、ずんずんずん。
「……。」
マットの上だというのに、なんという痛み。そして、つらさ。
「はっ早く。」
うでが震えてきた。重い、痛い、つらい。
パチパチパチ。
先生達が拍手をしている。拍手の音さえもおそく感じる。だが、どうやら、なんとか、トップのポーズが決まったようだ。だがぼくは、ちっとも嬉しくない。なぜなら、何がどうなっているのかが、全くわからないからだ。
(早く降りろよおおお。)
心の中でさけぶ。やがて軽くなっていく。
(ふうううう。)
心の中で深い、深いため息をつく。
「体重が軽かったらなあ。」
とつぶやいてみた。
(マットの上でもこんな調子なのに、本番成功するかなあ。)
ぼくは、不安と痛みから逃げようとする自分と必死に戦った。
(大丈夫かなあ。)
運動会当日。リレーも騎馬戦もつつがなく終わった。あとは組体だけとなった。そしてその時が、来た。今、入場門で並んでいる。
ドクン、ドクン、ドクン。
心臓が暴れ回っている。一人技、二人技、三人技、五人技……、ウェーブ。そしてついに、ピラミッド。
(おっしゃ。やってやる。)
「いいち。」
「にい。」
「さあん。」
みんな渾身の力をこめて、さけぶ。なぜか、さっきまで戦っていた不安がどこかに消えてしまった。いける。やってやる。どんどん人が乗っていく。やはり上の人は、目立っているだろうし、喜ぶ観客の顔もきっと見えるだろう。だが土台がいなければ、上へ上がれない。つまり、ぼくは縁の下の力持ちなのだ。
人間は、一人では生きていけない。誰かに支えられ、時には支え生きている。確かに、支えている方は、はっきり言って……地味だ。しかし、活やくする人のそばには、いつも支えている人がいる。つまり縁の下の力持ちは、絶対に必要だ。そして、支えるにも支えられるにも、信頼関係が必要だ。壊れるのは一瞬でも、築くのには時間がかかる。それが信頼関係だ。そんなことを考えると、縁の下ってとても素晴らしい。ぼくは素晴らしい縁の下に進んでなれる大人になりたい。
ピィーッ。
笛の音が空高く、響きわたる。そうだ。ぼくも、これからの人生、支え、支えられて生きていこう。縁の下、最高。