学校日記

全校集会(12月12日)

公開日
2016/12/12
更新日
2016/12/12

お知らせ

 月曜日は全校集会です。生徒会が中心となって、運営しています。
 今日の校長先生のお話です。

 お早うございます。
 生徒会役員の皆さんが赤い羽根共同募金のため、先週の金曜日早朝から、校門で頑張ってくれているので、私も一緒に立っています。今朝、「先生は『歳末助け合い運動にご協力ください。』と声を張り上げられますが、歳末助け合い運動というのはどういう意味ですか?」と質問されました。

 皆さんは笠地蔵の話を知っていますか?
 田舎のお爺さんとお婆さんが、お正月にせめてお餅の一つでも用意できるよう、藁で笠を編んで町まで売りに行くあの話です。結局思ったように売れず、とぼとぼ帰る道すがら、お地蔵さんが七人しんしんと降る雪の中に佇んでおられるのを見て、「お地蔵さん寒かろうに!」と、一体一体雪を掃って、売れ残った笠を被せて行きます。最後のお地蔵さんの番になると笠が足りなくなって、自分が被っていた手拭いを被せて、頬被りもせず家へ帰ります。
 結局、お餅が用意できないお婆さんは、それでも「お爺さん、良い事をなさった。お餅などなくても大丈夫。」と、お正月らしい拵えが何一つできなくても、文句の一つ言わずに、大晦日の晩、二人で早くに寝てしまいます。
 元旦明け方、重たいものをずるずる引っ張るような音で目を覚まし、外へ出てみると、家の前に、お正月が越せるよう、お餅を初め、鯛や海老やのご馳走と金銀小判のお宝を満載した俵がいくつも積まれ、七人のお地蔵さんが帰って行かれるのが見えます。二人は吃驚するとともにお地蔵さんの後ろ姿に手を合わせるというものでしたね。

 今もお正月は特別なものですが、昔はもっともっと特別なものでした。例えば、私の幼い頃、餅つきやお節料理や初詣等以外に、お正月には履物や下着を新品にするという風習がありました。厳かな気持ちで新しい年を迎えるということですね。
 そのためには、少々の纏まったお金が要りました。同じく私が子どもの頃は、今はもうあまり耳にしませんが、赤貧という言葉もあって、ひもじいという感覚も世間にも私にも普通にありました。
 誰もが、お正月を越せるように、せめて、お餅が買えて、お節料理の準備ができて、との感覚が、「助け合い運動」のうち特に「歳末助け合い運動」と言われる所以で、戦後すぐから今も綿々と続いています。

 皆さんの中にはすでに募金してくれた人も沢山います。まだの人も、する気が無い訳ではなく、朝、ついつい忘れて来るのだと思います。生徒会の目標額は「三万円」だそうです。本校の在籍数は約370名ですから、一人百円程度で、無理な目標とは思えません。強制ではありませんが、困っている人のために、皆さんの力でもできることをしてみませんか? 生徒会は朝の早くから、忘れもせず立っていますよ。明日までです。お茶の一本分、おにぎり一個分、助けてください。忘れないうちに、今日帰ったら、鞄に入れてください。宜しくお願いします。
 私も、ほら、今朝募金したので、生徒会の役員さんがこの赤い羽根をここに付けてくれました。もう一度重ねて言います。皆さん、どうぞ宜しくお願いします。