1月17日
- 公開日
- 2024/01/17
- 更新日
- 2024/01/17
できごと
阪神・淡路大震災から、今日(1月17日)で29年となりました。私はその日、兵庫県西宮市(甲子園球場の近く)に住んでいて、タンスの下敷きになりましたが、何が起こったのかわかりませんでした。家の中は無茶苦茶になりましたが、夫婦ともにかすり傷1つありませんでした。当時勤めていた学校に連絡しようと電話しても通じず、まだ携帯電話もあまり普及していなかったので、その日は連絡が取れませんでした。
次の日、自転車にのって、片道約15キロの道のりを何度も遠回りしながら勤務校へ向かいました。校門に入ると何人かの先生方から「オー 生きとったか!」と拍手が起こりました。帰宅時は、自転車にいっぱいの水や食料を積んで自宅に戻りました。電気は1週間ほどで回復しましたが、断水は数ヵ月続いたのでたいへんでした。
半年ほどたってから故郷の友だちから連絡が来ました。小中学校の同級生1名が震災で亡くなったとのこと、1週間の神戸出張でタンスの下敷きになったそうです。同じタンスの下敷きになったのですが、私はずっと住んでいて、同級生は1週間の出張で来ていただけでした。「私は運がよく、亡くなった同級生は運が悪かった。」とは全く思えず、「私は生かされたのか。」「生きてていいのか。」などと自問自答を繰り返しました。結果、「この命を大切にして、頑張るしかない」と思い、現在も教員を続けています。
令和6年1月1日、能登半島地震が起きました。穴水町に住む叔母の家が被災しました。倒壊は免れたものの、家の中に入ることはできず、県外へ避難しています。他に穴水町のいとこ、七尾市の叔父、叔母宅も被害にあっていますが、全員安否は確認されました。
今日、火災被害が大きかった輪島市の中学生が集団生活を行うために能登を離れたとの報道がありました。教科書等もなく、電気もつかない避難所から出て、しっかり学習できる環境に行けるのはいいことですが、持病がある子や小学生は行けていません。早く全員が落ち着いて学習できるようになってほしいです。とくに被災された受験生は、受験まで後少し、最後の頑張りを見せ、是非、進路を獲得をしてほしいと思います。
3学期が始まり、木津中学校の生徒のみなさんは、よく頑張ってくれています。3年生は、受験に向けて最後の追い込み、2年生は明日(18日)から職場体験、1年生は職業講話といろいろなことにチャレンジできます。石川県には被災して避難所生活をしている人や亡くなった人がいることを忘れず、今、恵まれた環境にいることを感謝しながら、もっともっと力を発揮してほしいと思います。
最後になりましたが、今回の能登半島地震や阪神・淡路大震災、東日本大震災などすべての災害でなくなった方々の冥福を祈るとともに、各被災地の早期復興をお祈りします。
大阪市立木津中学校長 渡辺 慶人