学校日記

沖縄慰霊の日と「平和の詩」

公開日
2025/06/24
更新日
2025/06/24

☆★☆お知らせ☆★☆

昨日の全校集会で校長先生からお話がありましたが、6月23日は「沖縄慰霊の日」です。太平洋戦争末期、沖縄では住民を巻き込んだ激しい地上戦が行われ、20万人以上の命が失われました。家族を失い、日常を奪われた人々の苦しみは、今も語り継がれています。

この悲惨な歴史を忘れず、二度と同じ過ちを繰り返さないために、私たちは「沖縄慰霊の日」に平和への思いを新たにします。

毎年この日には、沖縄県の児童・生徒による「平和の詩」が朗読されます。戦争の記憶を受け継ぎ、未来への希望を込めた言葉は、私たち一人ひとりの心に深く響きます。

戦争の惨禍を知り、命の尊さと平和のありがたさを考えることは、今を生きる私たちにできる大切な一歩です。どうかこの詩を通して、平和について一緒に考えてみてください。


「おばあちゃんの歌」
豊見城市伊良波小学校6年 城間 一歩輝(いぶき)さん

毎年、ぼくと弟は慰霊の日に
おばあちゃんの家に行って
仏壇に手を合わせウートートーをする

一年に一度だけ
おばあちゃんが歌う
「空しゅう警報聞こえてきたら
今はぼくたち小さいから
大人の言うことよく聞いて
あわてないで さわがないで 落ち着いて
入って いましょう防空壕」

五歳の時に習ったのに
八十年後の今でも覚えている
笑顔で歌っているから
楽しい歌だと思っていた
ぼくは五歳の時に習った歌なんて覚えていない
ビデオの中のぼくはあんなに楽しそうに踊りながら歌っているのに

一年に一度だけ
おばあちゃんが歌う
「うんじゅん わんにん
艦砲ぬ くぇーぬくさー」

泣きながら歌っているから悲しい歌だと分かっていた
歌った後に
「あの戦の時に死んでおけば良かった」
と言うからぼくも泣きたくなった

沖縄戦の激しい艦砲射撃でケガをして生き残った人のことを
「艦砲射撃の食べ残し」
と言うことを知って悲しくなった

おばあちゃんの家族は
戦争が終わっていることも知らず
防空壕に隠れていた
戦車に乗ったアメリカ兵に「デテコイ」と言われたが
戦車でひき殺されると思い出て行かなかった

手榴弾を壕の中に投げられ
おばあちゃんは左の太ももに大けがをした
うじがわいて何度も皮がはがれるから
アメリカ軍の病院で
けがをしていない右の太ももの皮をはいで
皮ふ移植をして何とか助かった

でも、大きな傷あとが残った
傷のことを誰にも言えず
先生に叱られても
傷が見える体育着に着替えることが出来ず
学生時代は苦しんでいた

五歳のおばあちゃんが防空壕での歌を歌い
「艦砲射撃の食べ残し」と言われても
生きてくれて本当に良かったと思った

おばあちゃんに
生きていてくれて本当にありがとうと伝えると
両手でぼくのほっぺをさわって
「生き延のびたくとぅ ぬちぬ ちるがたん」
生き延びたから 命がつながったんだね
とおばあちゃんが言った

八十年前の戦争で
おばあちゃんは心と体に大きな傷を負った
その傷は何十年経っても消えない

人の命を奪い苦しめる戦争を二度と起こさないように
おばあちゃんから聞いた戦争の話を伝え続けていく
おばあちゃんが繋いでくれた命を大切にして
一生懸命に生きていく