学校日記

五輪閉幕〜ものづくり東成〜

公開日
2016/08/23
更新日
2016/08/23

校内の様子

 リオデジャネイロ五輪が閉幕しました。様々な感動や勇気を与えてくれました。
 さて開会式で日本選手団が着ていた赤いブレザー。昭和39年10月10日(旧体育の日)に開催された東京五輪開会式での日本選手団のユニフォームに極めて類似しています。まだ白黒テレビが主流でカラーテレビ普及を促進したと言われています。
 家電業界は高度成長を支え日本の経済成長を担ってきました。その先人達の一人が東成区で起業しています。
 9歳で母のもとを離れて大阪での丁稚奉公を経て15歳で大阪電灯株式会社の配線工となりましたが、大正6年22歳の時、自ら考案した『松下式ソケット』を事業化するため会社を退職、この場所で独立の一歩を踏み出しました。 
 四畳半と二畳の借家の小さな工場で、幸之助夫婦と義弟の井植歳男氏(後の三洋電機創業者)が工夫と努力を重ね、多くの困難を乗り越えて、やがて世界的大企業とする基盤はここで培われていったのです。 
 Panasonic 創業者「松下幸之助」氏その人です。
 東成・生野(旧・猪飼野)は古代から先進的な技術者の集まった土地で、この地の『もの作り文化』は現代にいたるまで数々の独創的な企業を生み、大阪の経済発展に大きな役割を果たして来ました。
 幸之助氏がここで業を興したのも、東成・生野の地に新しい産業を受け入れるだけの、多くの先人が耕した豊かな土壌があったからに他なりません。
【大阪市ホームページから一部抜粋】