東成区の歴史、楽語荘(片江町)
- 公開日
- 2016/09/25
- 更新日
- 2016/09/25
校内の様子
楽語荘(らくごそう)
昭和初期、五代目笑福亭松鶴は、横山エンタツ、花菱アチャコらの漫才に押され凋落(チョウラク:落ちぶれる)傾向にあった落語を憂い、大阪市東成区片江町内にあった自宅を「楽語荘」と名づけ、上方落語の保存と新人落語家の養成に乗り出したそうです。
五代目松鶴は、「楽語荘」において、私財を投じて雑誌「上方はなし」を発刊、当時の四代目松鶴の松翁、桂米團治、花団治などが同人として集い、「上方はなしを聴く会」を催すなど、上方落語の再興に尽力した。
昭和20年代には、五代目松鶴の次男である六代目松鶴はもとより、三代目桂米朝や五代目桂文枝など、後に上方落語界の重鎮となる噺家が、「楽語荘」に出入りし修行を積んだ。
これらのことから、「楽語荘」を現在の上方落語隆盛の礎と考えている落語ファンも多い。
六代目松鶴の弟子には仁鶴、鶴瓶らが有名。
詳しくは東成区ホームページにて。
http://spwww.city.osaka.lg.jp/higashinari/page/0000052488.html