こんな言葉になっていました。
- 公開日
- 2018/09/25
- 更新日
- 2018/09/25
校内の様子
9月25日(火)
ベンチャー企業。たった数人でもの作りから会社を興すという企業。
9歳で母のもとを離れて大阪に出、丁稚奉公を経て15歳で大阪電灯株式会社の配線工となりましたが、大正6年22歳の時、自ら考案した『松下式ソケット』を事業化するため会社を退職、この場所で独立の一歩を踏み出しました。
四畳半と二畳の借家の小さな工場で、幸之助夫婦と義弟の井植歳男氏(後の三洋電機創業者)が工夫と努力を重ね、多くの困難を乗り越えて、やがて世界的大企業とする基盤はここで培われていったのです。
世界的な企業として発展することになった「松下電器産業」「ナショナル」を経て、現在のパナソニック『Panasonic Co』と社名を変えて成長している企業の創業者である、松下幸之助氏の起業の地が、東成区内(玉津二丁目)にあり、顕彰碑が住宅地の中にひっそりとたたずんでいます。
この地域の「ものづくり」の象徴として、また、ひがしなりの誇りとして、その功績を称え、地元有志のグループが顕彰碑を建立したそうです。
『経営の神様』と称された故・松下幸之助氏(明治27年〜平成元年)が残した数多ある名言の一つです。
そして、この言葉は、ある生徒と約束をした職員が書きました。
ここの黒板にいろんな言葉を書くから、それを読みにおいで、と。
写真左の電球もそれにちなんでこの職員が飾りました。
様々な形で、学校に来にくい生徒達に手を差し伸べている本校教職員。そしてそれに応えようとする生徒達。
まだまだ本庄は発展していくと、強く感じました。