全校集会“トリアージ”【1月14日】
- 公開日
- 2020/01/14
- 更新日
- 2020/01/14
学校日記
本日全校集会が行われました。
以下、校長先生のお話しです。
今から25年前、
平成7年(1995年)1月17日午前5時46分
君たちが生まれる10年以上前、
私自身も大きな揺れで飛び起きた。
当時住んでいたマンションもあまりの揺れで倒れると思った。
大阪でもかなり揺れました。阪神淡路大震災です。
震源地は淡路島の北部。マグニチュード7.3。
震度7を超える本当に巨大な地震でした。
亡くなった方6434人。4万人以上が負傷。
60万以上の家が全半壊。
大火災がおき、阪神高速も倒れた。
焼け野原になっていて、戦争が起こったかのような状況がずっとテレビで流されていました。
当時を振り返った消防士さんの談話が新聞に載っていました。
“トリアージ”と言う言葉を知っていますか?
現場の救命の優先順位を選択するということだそうです。
その消防士さんは“トリアージ”をめぐって、当時の状況を語っていました。
仲間と共に、戦争のような現場に到着したときに、目の前に押しつぶされた家屋の下に高齢の女性が横たわっていました。その横には泣き崩れた男性。
「母を助けてください」
その隊員は、どう見てもすでにその女性はお亡くなりになられていることがわかった。
救命のプロとしてのプライド。
限られた機材を使って、仲間と共に一生懸命、覆いかぶさっている木や屋根をどかせようとしました。
ビクともしなかった。
3時間以上の時間が経過した。
その男性に、申し訳ないが横たわっている女性に毛布をかけてその場を立ち去った。
長い隊員生活の中で目的を達成できなかったのは、はじめての経験。
それから、他の現場にかけつけた。
すでにその周りの人たちはすでに亡くなっていた。
ついさっきまで声が聞こえていたのに…。
その隊員の方が、その時を振り返って二度とあんなつらい思いをしたくない。
より多くの人を助けたいと振り返っていました。
みなさんならどうしたでしょうか?
同じような現場になったときにすぐに立ち去れたでしょうか?
南海トラフに対しても日頃の備えが大切です。
25年前の教訓。
いつ来るかわからない。
でも、後悔しないために備えなければいけません。
ある選択に迫られたとき。
知識と経験の積み重ねが必要です。
選択は常に真剣に行うように。
適当に選ぶことなく。
それは正しいのか?
いつなんどき起きるかわからないことに対して、毎日を真剣に過ごして欲しいと思います。