昭和中学校・いまむかし3
●明治42年の地図 ・明治の終わりごろ、東に田辺村、西に阿部野村が見られたが、他は田畑や原野が広がっていた。 ・桃ヶ池は、昔池の形が股(もも)を含む足の形に似ていたことから、股ヶ池と呼ばれていた。
・長池通りの道路に出っ張っている樹木は、昔埋め立てられた股ヶ池西岸に立っていたものです。道路にある大きなセンダンの木は、現在の長池の西岸にある、大きなイチョウ、クスノキ、ヤナギの延長線上にあります。
● 長池公園 ・昭和3年5月に、長池公園として整備竣工された。現在は埋め立てられて作られた運動場や道路をはさんで二つの池に分かれているが、公園内の緑化も進み、花壇もあって市民の憩いの場として利用されている。
● 桃ヶ池公園 ・ 上町台地と我孫子丘陵間にあって、古くから百ヶ池・股ヶ池と呼ばれていた。廃線になった南海電車平 野線の駅名も股ヶ池だった。この付近は池が多かったので、百ヶ池と呼ばれたとも言われている。昭和8年10 月に、市民の憩い場として桃ヶ池公園がオープンする。景色がよく桃の花の名所としてしられている。
● 股ヶ池明神