専門委員会(図書) その1
月に1回、生徒専門委員会が行われます。
港中学校には、 ・生徒会 ・学級委員長会 ・整備委員会 ・広報委員会 ・安全風紀委員会 ・保健委員会 ・体育委員会 ・図書委員会 以上の委員会があります。 図書委員会では、1ヶ月間の活動をふりかえり反省を考えたり、返却期限を過ぎた本の返却願いを書いたり、図書だよりを作ったり…などの活動をしています。 毎月学年ごとに分担を決め、 「図書だより」と「図書紹介ポスター」を作成しています。 7月は1年生が担当しました。 「図書紹介ポスター」は、本屋さんから学校に図書を納入した際、表紙と表紙カバーが同じ場合、表紙カバーは外されて納品されます。そのカバーを使って図書紹介をしています。 初めて1年生は作りましたが、それぞれがどんなふうにしたら興味を持ってくれるのか考えながら工夫して作っていました。 私の職業体験3 バスの車掌
鉄工所・技術専門校で学んだことですが、従業員は「会社の発展のために労を惜しまず一生懸命に尽くすこと」ということを学びました。数ヶ月でしたけれどとても貴重な経験をさせていただき現在も感謝しております。
結局は、退職・退学という道を選びました。次の高校受験まで家で勉強ばかりできるはずがなく、生活のリズムをきちんとすることが大事であると思い、アルバイトをすることになりました。 大手の某バス会社の車掌にあこがれていたので、知り合いの方を通して面接をしていただき晴れてバスガイドに合格しました。勤務の時間帯は、(1)始発から最終までのコース(2)始発から昼までのコース(3)昼から最終のコースの3コース勤務でした。 一日だけ先輩の車掌さんが指導してくれ翌日からは、1人でマイクを持ち乗客の皆さんに「このバスは、牛窓6時発西大寺経由の終点天満屋駅まで…」初めてマイクを持ったときは、とても緊張しました。心臓もドキドキ。切符は切らないといけないし、次ぎ降りますなんて言われても切符を切るのに必死で周りは見えません。乗ってくる人降りる人また、満員のときはわけがわからなくなります。プラス雨降りはもっとむちゃくちゃ状態で気が張ります。 経験を積むということは、偉大です。マイクで案内しながらでも切符を切ることができるし、一人ひとりの乗客に視線を合わせられるまでになりました。そうすることで乗客の方も安心して声をかけてくれるようになりました。 今でこそワンマンカーですが、さらに大変なことばかり記憶に残っています。車掌は、始発と最終はバスの掃除をしなければなりません。それも毎回ぴかぴかにします。予断ですが、結構乗客の方の忘れ物もありました。(入れ歯・腕時計・小銭などなど)書類に記入して事務所に提出をすることになっています。この整理が時間がかかり帰りが遅くなりました。 何といっても最悪なことは、一番気性の荒い、怖い運転手に当たるということです。一日中緊張のしっぱなしで、次ぎは、何を怒られるのだろうか不安だらけです。声が聞こえるだけで怒られると身構えたことを覚えています。しかし、その人が他の人と運転を交代することがあったりすれば最高の一日になりました。良好な人間関係を築くことが大切ですが、そんなチャンスはありませんでした。 また、今だから言いますが、同級生がバスに乗ってくることもあります。そんな時は、運賃を貰わなかったこともありました。また、バス道を覚えることができたので年末に帰省したときなどで家族が迎えに来てくれなかったときに、3時間ほど田舎道を夜通し歩いて実家に帰ることもありました。人を頼らないことと自分で選んだ道を達成するためにと言い聞かせたものでした。(この頃は、昭和44年で道路は、塗装されていませんでした。) 私の職業体験 5 正社員
昭和45年4月上旬、大阪に出てきてはじめての就職、このとき16歳、堺市のあるカメラ店に入社しました。通勤は、今もある俗にいう「ちんちん電車」阪堺線を使用しました。家の多いことと人の多いことにびっくりするほどで勤まるか不安だらけでした。店に入ると高価なカメラがずらりと陳列しており、フィルムの現像もかなり忙しくやっていました。なぜここに就職を決めたか、いまだに覚えていませんが、面接してもらい翌日から勤務となりました。しかし、2〜3日間ぐらい見習いをして退職を決意。
退職の原因は、事業主(店長)にえらい怒鳴られたことから意欲がなくなった。「写真を現像している時間帯にカーテンを開けて入ってくるな」「お前は理科で光のことを勉強してへんのんか」「アホカ」等など、知っていたらカーテンを開けるわけないやろう。心の中でつぶやきました…「大阪は性に合わんなあ、次の仕事を探そうか」、働かなかったら生活ができないことぐらいは、理解できていました。 結局ここで学んだことは、職人の方は、命がけの仕事であるがゆえに、新入社員には厳しくする、その厳しさについてこれないものは、使いものにならないということだと思いました。しかし、この世界には自分は向いていないと断念したしだいです。 元オリンピック選手が港中へ!!
7/1(月)、全校生徒に…
「水泳特別授業のご案内」 (元オリンピック選手が港中学校に来る) を配布しました。 本校は、「平成25年度・26年度の2年間において大阪市教育委員会から「地域を活用した学校丸ごと子どもの体力向上推進事業」モデル指定を受けました。 その一環として、大阪府出身の巽 樹里さんを講師にお招きし、水泳指導をしていただきます。 【午前】体育の授業(1年生) 【午後】水泳教室「シンクロを体験しよう!」 午後の水泳教室は「希望制」です。 参加希望される方は、注意事項をお読みいただき、「参加申込書」に必要事項をご記入と保護者の捺印の上、ご提出ください。 なお、水泳教室当日、港中学校は期末懇談中です。 配布したご案内プリントは… 「配布文書」 ↓ 「学校行事」 ↓ 「水泳教室特別授業のご案内」 にもご用意いたしておりますので、必要に応じてプリントアウトくださいますようお願い申しあげます。 期末懇談・配布プリント提出のお願い
日程調整の関係上、誠に勝手ながら7/3(水)までにお子様を通じ、各担任へご提出くださいますようお願い申しあげます。
6/27(木)に配布しました「期末懇談について」は、明日(3日)が提出期限です。 日程調整の都合上、必ず、全員、各クラス担任へご提出ください。 配布したご案内プリントは… 「配布文書」 ↓ 「学校行事」 ↓ 「期末懇談(1学期)について」 にもご用意いたしておりますので、必要に応じてプリントアウトくださいますようお願い申しあげます。 |
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