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港中学校卒業生からのプレゼント

世界的に有名な大リーガー野茂英雄さんは、本校の卒業生です。今でこそ大リーガーに多くのプロ野球選手が進出していますが、開拓をされた先駆者として誇りに思います。先輩に続いて、皆さんもいろいろな分野の開拓者に成長してください。
校長室に寄贈していただいたものを写真に収めました。 2013.7.3

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専門委員会(図書) その2

このように完成しました!

昨年の11月〜今年の10月までの「図書紹介ポスター」を今年の文化発表会(11月1日・金曜日)で展示いたしますので、ぜひ、ご覧ください。
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専門委員会(図書) その1

月に1回、生徒専門委員会が行われます。

港中学校には、
・生徒会
・学級委員長会
・整備委員会
・広報委員会
・安全風紀委員会
・保健委員会
・体育委員会
・図書委員会

以上の委員会があります。


図書委員会では、1ヶ月間の活動をふりかえり反省を考えたり、返却期限を過ぎた本の返却願いを書いたり、図書だよりを作ったり…などの活動をしています。

毎月学年ごとに分担を決め、
「図書だより」と「図書紹介ポスター」を作成しています。
7月は1年生が担当しました。

「図書紹介ポスター」は、本屋さんから学校に図書を納入した際、表紙と表紙カバーが同じ場合、表紙カバーは外されて納品されます。そのカバーを使って図書紹介をしています。

初めて1年生は作りましたが、それぞれがどんなふうにしたら興味を持ってくれるのか考えながら工夫して作っていました。
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私の職業体験3 バスの車掌

鉄工所・技術専門校で学んだことですが、従業員は「会社の発展のために労を惜しまず一生懸命に尽くすこと」ということを学びました。数ヶ月でしたけれどとても貴重な経験をさせていただき現在も感謝しております。
 結局は、退職・退学という道を選びました。次の高校受験まで家で勉強ばかりできるはずがなく、生活のリズムをきちんとすることが大事であると思い、アルバイトをすることになりました。
大手の某バス会社の車掌にあこがれていたので、知り合いの方を通して面接をしていただき晴れてバスガイドに合格しました。勤務の時間帯は、(1)始発から最終までのコース(2)始発から昼までのコース(3)昼から最終のコースの3コース勤務でした。
一日だけ先輩の車掌さんが指導してくれ翌日からは、1人でマイクを持ち乗客の皆さんに「このバスは、牛窓6時発西大寺経由の終点天満屋駅まで…」初めてマイクを持ったときは、とても緊張しました。心臓もドキドキ。切符は切らないといけないし、次ぎ降りますなんて言われても切符を切るのに必死で周りは見えません。乗ってくる人降りる人また、満員のときはわけがわからなくなります。プラス雨降りはもっとむちゃくちゃ状態で気が張ります。
経験を積むということは、偉大です。マイクで案内しながらでも切符を切ることができるし、一人ひとりの乗客に視線を合わせられるまでになりました。そうすることで乗客の方も安心して声をかけてくれるようになりました。
今でこそワンマンカーですが、さらに大変なことばかり記憶に残っています。車掌は、始発と最終はバスの掃除をしなければなりません。それも毎回ぴかぴかにします。予断ですが、結構乗客の方の忘れ物もありました。(入れ歯・腕時計・小銭などなど)書類に記入して事務所に提出をすることになっています。この整理が時間がかかり帰りが遅くなりました。
何といっても最悪なことは、一番気性の荒い、怖い運転手に当たるということです。一日中緊張のしっぱなしで、次ぎは、何を怒られるのだろうか不安だらけです。声が聞こえるだけで怒られると身構えたことを覚えています。しかし、その人が他の人と運転を交代することがあったりすれば最高の一日になりました。良好な人間関係を築くことが大切ですが、そんなチャンスはありませんでした。
また、今だから言いますが、同級生がバスに乗ってくることもあります。そんな時は、運賃を貰わなかったこともありました。また、バス道を覚えることができたので年末に帰省したときなどで家族が迎えに来てくれなかったときに、3時間ほど田舎道を夜通し歩いて実家に帰ることもありました。人を頼らないことと自分で選んだ道を達成するためにと言い聞かせたものでした。(この頃は、昭和44年で道路は、塗装されていませんでした。)

私の職業体験 5 正社員

昭和45年4月上旬、大阪に出てきてはじめての就職、このとき16歳、堺市のあるカメラ店に入社しました。通勤は、今もある俗にいう「ちんちん電車」阪堺線を使用しました。家の多いことと人の多いことにびっくりするほどで勤まるか不安だらけでした。店に入ると高価なカメラがずらりと陳列しており、フィルムの現像もかなり忙しくやっていました。なぜここに就職を決めたか、いまだに覚えていませんが、面接してもらい翌日から勤務となりました。しかし、2〜3日間ぐらい見習いをして退職を決意。 

退職の原因は、事業主(店長)にえらい怒鳴られたことから意欲がなくなった。「写真を現像している時間帯にカーテンを開けて入ってくるな」「お前は理科で光のことを勉強してへんのんか」「アホカ」等など、知っていたらカーテンを開けるわけないやろう。心の中でつぶやきました…「大阪は性に合わんなあ、次の仕事を探そうか」、働かなかったら生活ができないことぐらいは、理解できていました。
結局ここで学んだことは、職人の方は、命がけの仕事であるがゆえに、新入社員には厳しくする、その厳しさについてこれないものは、使いものにならないということだと思いました。しかし、この世界には自分は向いていないと断念したしだいです。

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8/8 夏季休業
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8/9 夏季休業
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8/10 八幡屋地域盆踊り

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