終戦の日
今日は、68回目の終戦の日です。
「わたしたちのなかつ」という本に、戦争中の中津小学校の様子が次のように書かれています。 昭和16年 中津小学校は、中津国民学校という名前でした。 食べるものも少なく、苦しい時代でした。 昭和18年ごろから戦争がはげしくなり、都会ではいつ空襲を受けるかもしれず、あぶないので、子どもたちは集団疎開といって、いなかへ避難しました。中津国民学校は、子どものいない学校になったこともありました。 昭和19年には、京都府福知山へ、福知山がきけんになってからは、京都府天田群河合村に疎開しました。夜になると中津の父母や家族を恋しがって涙をながす友だちもいました。 昭和20年3月と6月、大阪に大空襲があり、6月の空襲で中津の町は、ほとんど焼けてしまいました。たくさんの人が亡くなったりけがをしたりしました。また、たくさんの家も焼けてしまいました。 8月15日に終戦になりましたが、大阪市の被害が大きかったため子どもたちは疎開先からすぐには帰ってこられず、その年の10月にやっと中津に帰ることができました。 メンテナンスいきいき活動もお休みなので、子どもの声がしません。 今日はこんなときこそできる校舎内のメンテナンス 廊下の床にポリッシャ―をかけています。 管理作業員は汗だくです。 校舎をきれいに保つため、 学校が子どもたちにとって居心地の良い場所であるため努力しています。 ユウガオ夕方に花が咲き、翌朝にはしぼんでしまう白い花です。 昨日、咲いていたようです。 帰る頃にはまだ咲いていなかったのに。残念。 今日、咲きそうなつぼみもありました。 咲くぞ!と 凛とした雰囲気が感じられます。 今日は咲いているところを見れますように。 給食室この期間を利用して、給食調理員は、給食室は機器や配膳棚、保管庫などのメンテナンスをしています。 左 保管庫 普段はお米や乾物等が保管されています。休み中なので何もからっぽです。 中 食器洗浄機もメンテナンスしま 右 配膳棚も網戸をはずして大掃除しています 子どもたちに安全でおいしい給食が提供できるよう、休み中も給食室は動いています。 なにわ伝統野菜3玉造黒門越瓜を使ったメニュー 左側 豚バラ肉との煮物 右側 昆布茶を使った浅漬け どちらも白いご飯にぴったりでした 今年ははじめてのこころみだったので、 来年は子どもたちと育てたり調理したりできるといいなと思っています。 |