歴史を訪ねて4(校章)外側の上の部分が「タ」、下の部分が「キ」、中央の3本線が「川」と「小」をかねて図案化したものです。 歴史を訪ねて11616に徳川家康が没すると、その子で江戸幕府2代将軍である秀忠は、家康を東照大権現という神様としてまつり、各地に東照宮という神社を建てることを命じました。 大阪には、翌年この滝川小学校の地に、当時の大阪城主である 松平忠明たちによって東照宮が建てられました。一説には豊臣氏をうやまう大阪の人々の思いを薄れさせるために建てられたとも言われています。 明治6年になって、川崎東照宮は廃されました。 歴史を訪ねて3(半鐘)夏季プールファイト!滝川 |
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