一足早く「給食週間」を実施します皆さんは、好き嫌いせず、毎日の給食を感謝していただいていますか。 1分間に28人、いったい何の数でしょうか。なんとこの数は、この地球上で食べるものがなく餓死している人の数です。1分間に28人ですよ。どうにかならないのでしょうか。 さて、今日なぜ、こんな話をしたかと言うと、本校では今週の1月19日〜23日に給食週間を実施するからです。この給食週間は、戦後の食糧難による児童の栄養状態の悪化を受け、アメリカのアジア救済団体の物資寄贈を受けて、給食が昭和21年12月24日に再開されたことから始まりました。12月24日にすると冬休みになるので1カ月ずらせて実施したことが始まりです。 この海老江東小学校にも給食調理員さんが3人います。その3人で、毎日約350人分の給食を作ってくださっています。3人で350食ですよ。すごいですね。 おいしくなるように、毎朝、調理の手順を話し合ったり、材料を機械で切らないで手で切ったりして、心をこめて作ってくださっています。 さて、みなさん「いただきます」という言葉は、どんな時に使いますか?そうです。食事をする前、学校では給食を食べる時に言いますね。 わたしたちの命の糧である食べ物をいただく時、食べる前に「いただきます」と言いますね。食べ物をとらないと健康な体をつくれませんし、体を動かすエネルギーもつくれません。つまり食べ物をとらないでいると死んでしまいます。 この「いただきます」という言葉には、「食べ物のもとになった全ての命を、ありがたくいただきます」という意味が込められています。つまり、わたしたち人間は、毎日、お米(イネ)やパン(小麦)、肉(ニワトリや豚や牛)、魚、いろいろな野菜など生きていた多くの命をいただくことによって生きていけるのです。そうした多くの命に支えられていることに感謝する気持ちを込めて「命をいただきます」ことから「いただきます」という言葉はうまれました。だから、「いただきます」の時は手を合わせますね。 わたしたちは、こうした多くの命と心をこめた人の力で、毎日おいしい給食をいただいています。皆さんも感謝する心を忘れずもち続けてほしいと思います。これでお話を終わります。 阪神・淡路大震災から20年がたちました6,434人もの犠牲者をだした未曾有の大震災があってから20年目にあたる今日、各所で追悼式が行われました。犠牲者の皆さんのご冥福をお祈りするとともに、謹んで哀悼の意を表します。 震災時、私は38歳でした。大阪市内の自宅もかなりゆれて我が子をすぐにテーブルの下に避難させ、ゆれがひとまずおさまって見渡すと本箱から大きな本がとびだして床に落ちていた覚えています。 多くのメディアが当時の様子を伝え、私たちがいかに震災に向き合ってきたか、あらためて震災への備えの大切さを伝えています。お家でもこの機会に、ぜひ、お子さんを交えて大きな地震が起こった時にどうすればいいのか、日ごろの備えについて話し合ってみてください。 上の写真は、震災1カ月後に、阪神御影駅付近で撮影したものです。 JR海老江駅での絵画展示(1/23まで)について現在、JR海老江駅近くの通路に、本校の児童絵画が展示されています。これは、福島区役所の取り組みの一環で、日ごろの学校活動の発表の場を公共の場に活用し、地域への愛着とにぎわいをもたせるという目的で行われています。期間は、1月23日(金)までです。どれも、力作ぞろいの作品ですので、是非ご覧になってください。(教頭のつぶやきより) 広報「ふくしま」1月号に掲載されました広報「ふくしま」1月号の「区長漫遊記」に本校の取組が掲載されました。この「区長漫遊記」は、区長さんが福島区の小中学校を順次訪問し記事にされているものです。 本校の特色でもある低学年からの英語活動の様子を見ていただき、子どもたちと一緒に楽しんでいただきました。 給食が始まりました。今日はお正月メニューです今日から給食が始まりました。今日のメニューは「鮭ちらし・ぞう煮・焼きれんこん・牛乳」です。 【ぞう煮の名前の由来】 もちや野菜、海のものなど、いろいろな食べ物を入れて煮ることからこの名前がついたといわれています。主にお正月に食べます。地方や家庭によって、具や味付けなどに工夫があります。大阪では白みそが使われていることが多いようです。 |
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