1・21(木)変装しているのは誰でしょう??集会委員会のみんな、いつも楽しいことを考えてくれてありがとう。 1・18(月)防災学習に向けて1・18(月)土曜日は防災学習です。〜阪神淡路大震災の記憶 小鳥校長先生のお話〜先生は当時はダイエーという会社で働いていました。前の年の11月から当時三宮にあったダイエーリビング館という店の店長をしていました。三宮センター街を抜けて道を渡ったところにありました。地震が起きた日は火曜日で、火曜、水曜とお店を連休にしてみんなで旅行に行く計画でした。朝の5時46分、ものすごい揺れ・・・というより普通の地震のように横に揺れるのではなく、ドンドンと身体を下から突き上げる激しい縦の揺れが神戸の街を襲いました。 その時、地下鉄の名谷という駅の近くの竜が台という所に住んでいたんですけど、目は開けたものの身体は動かず、タンスが倒れてこないように手を前に出して構えていたのを覚えています。揺れが収まって、これは会社に行かなあかんと思い、家の中が大丈夫なのを確認して自転車で行きました。須磨の離宮公園の横を下って行くと下に行くほど状況がひどくなっているのが分かりました。塀が倒れていたり、10階建てくらいのビルの2階か3階が無くなっているのが見えました。お店に着くと見事に壊れてるんですね。V字型に、グシャーっとなってました。三宮のお店は5店舗あり、かたまっていましたので、今のミュンヘンという飲食店の前にあったスポーツワールド33という一番被害の少なかった店にみんな集まり本社に連絡したり対策を話し合いました。 辺りはガスの臭いもして、ミュンヘンの前では切れた電線から火花が飛んでいました。結局、本社が手配した4トントラック一台のカップラーメンを販売してその日は終わりました。そして、暗くなり、電気も点かないので解散して家に帰りました。この時通ったのが大火災でたくさんの方が亡くなった長田近くでした。ものすごい火で、熱かったのを覚えています。道もよく分からないし、車の通っている道を外れると真っ暗なのですごく怖かったです。なんとか家にたどり着いて、そこからがまた大変で、夜遅くまで従業員の安否確認の電話をかけ続けました。その日は旅行に行く予定だったのでそのメンバーのリストに基づき電話をかけて、その人にさらに知り合いの安否確認をお願いするようにしました。1週間くらいかかったと思いますが、全員の無事が確認できました。 そういうやりとりをしている時に東京から転勤してきた店長が、こんなことを言っていました。「東京ではしょっちゅう地震が起こって、神戸に来たらもう地震に遭わないと思ってた。まさかこんな地震に遭うとは」。 いつ起こるか分からないのが地震などの災害です。今週の土曜日は防災学習です。しっかりお話を聞いて、いつどこで地震にあっても最低自分の身だけは守れるようにしましょう。今日は震災の話をしました。今週は今日の雨の後寒くなります。手洗い・うがいをきちんとして風邪を引かないようにしましょう。」 (画像・・・阪神淡路大震災のあった1995年は、「ボランティア元年」とも言われています。「がんばろう神戸」を合言葉に人と人との絆が深まった年です。) 1・15(金)平和の大切さと大阪の歴史を学ぶ・・・
6年生は、本日、ピースおおさか(大阪国際平和センター)と大阪歴史博物館に社会見学に行きました。
ピースおおさかでは、大阪大空襲を中心に戦争の恐ろしさ、悲惨さを実感しました。当時の防空壕の中を疑似体験できる展示がありました。暗さ・・・狭さ・・・音・・・叫び声・・・B29の音・・・真っ赤に染まる壕内・・・子どもたちの心に訴えかけるものがあったようです。メモをとりながら、真剣に見学する6年生の姿に感心しました。戦争の実態を学ぶとともに平和であることのすばらしさを実感できたはずです。 お弁当は、近くの難波宮で。大化の改新後に大阪にできた都での昼食です。大極殿の上で食べました。気分良し!! 後半は、大阪歴史博物館です。縄文時代から昭和までの大阪の歴史を学ぶことができます。4月から学習してきたことに関する展示があると、「先生、見て見て!」の声。今回は、難波宮時代の高床式倉庫の中にも入れていただくことができ、貴重な体験ができました。 1・14(木)給食週間です!給食委員会からは、給食の食器や牛乳瓶を給食室に返却する時の注意点、お願いがクイズ形式で出題されました。また、大好きな給食ですが、中野小学校のみんなが少しだけ苦手な牛乳ときのこの良さについてわかりやすい、楽しいプレゼンテーションで説明してくれました。栄養教諭のゲストティーチャー大門先生も映像に登場してくださいました。 これからも栄養満点給食をおいしくいただきましょう。給食調理員さん、毎日ありがとうございます。(*^_^*) |
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