ピンチはチャンス!脳神経外科医であり、日本大学名誉教授の林成之先生の著書、「いくつからでも脳は若がえる」から、第2弾! トラブルが起きたとき、よくある間違いは、トラブルを起こした人を責める、という対応です。本当によくありがちな対応ですが、これはまったく意味がありません。 トラブルには必ず原因があり、何か示唆するものがあるはずです。ですからそのことを話題にして解決するべきで、トラブルやミスした人を責めるのは、幼稚な対処法というほかありません。 トラブルは悪いものと考えるのではなく、「何かの問題を解決するためのきっかけをもらっている」という考え方をすると、もう半分以上は解決したと言ってもいいでしょう。 かかわる人たちのレベルが低いことでトラブルになることもあります。それでもそこには、腹が立ったとか、もともとあの人が気に入らないといった理由があるものです。それがわかれば、「じゃあ次は、こうしよう」とか、「私も言いすぎたから、次はこういうふうに対応します」とか前向きな解決策が得られます。トラブルにどう対応するかが人間力なのです。 「ピンチはチャンス!」という言葉の通り、逆風のときこそ、その人の生きざまやその人の本音がわかります!トラブルから学ぶことも多いのではないでしょうか! 言葉の力!脳神経外科医であり、日本大学名誉教授の林成之先生の著書、「いくつからでも脳は若がえる」から、 「疲れた」「無理」「面白くない」「大変だ」「嫌だ」「もう年だから」などの否定語は、自己保存の本能をマイナスの方向に発揮してしまう言葉で、これらを口にした途端、できない、無理、ということが現実化してしまいます。 ですから、日頃から絶対に口にしないようにしてほしいのですが、ふと、「ああ、疲れた」などと口に出してしまうことは誰にでもあると思います。 そんなときは、「疲れたと思ったけどやめにして、自分は今、才能を発揮するチャンスが、めぐってきている」と口に出して言うようにしてください。 ちゃんと口に出して言う、ということがポイントです。思うだけではダメです。人に聞こえるような大きな声ではなく、口の中でぶつぶつ唱えるだけでいいので、口で言うことが大事です。 なぜなら、口に出すと、人はそのことを正当化しようとする本能が自然に働くからです。 言語中枢は、考え、思いをめぐらせるときのルートになっているので、自分が言っていることとやっていることが矛盾することに耐えられず、言語に現実を合わせようとするからです。ゴルフにしろスケートにしろ野球にしろ、トップ選手が試合前にぶつぶつ言っていることがあるのは、これが理由です。 日頃からどんな言葉を口にしているのか、しかもどれだけ前向きな言葉を意識的に発しているのか、脳はその言葉をありのままキャッチするんですよね。子どもとともに学ぶ大人として、ポジティブな言葉をチョイスしたいですね! 主体的な学び!「学校に頼らなければ学力は伸びる」(山本崇雄 著)より、その2 ボクが問題にぶっかった時もそうだけど、生徒たちが迷っているのが見えた時は、いつもここに戻るように指導しているんだ。その1つが「習慣を変えるwith」 キミにも経験があると思うけれど、一度身についた習慣を変えるのは簡単なことではないだろう。 社会人で言うなら、毎晩お酒を飲んでいる人が禁酒したり、長年タバコを吸ってきた人が禁煙したりするのもかなり大変らしい。 キミたちの世代だと、勉強の習慣がなかなか身につかないことが大きな悩みになっている中高生は大勢いる。実際は、本人よりもむしろ親の悩みかもしれないけれど。いずれにしても、「勉強しない習慣」を「勉強する習慣」に変えるには、勉強の時間を生み出す小さな工夫を積み重ねるのが一番有効だ。 環境微生物学の研究者で理科教育や大学教育にも熱心な元首都大学東京教授の松浦克美先生は、「毎日、宿題をやる他に10分でいいから、自分のためのべんきょうをする」ことを推奨している。 つまり、宿題のような「受け身の勉強」だけでなく、自分で何をすればいいかを考えて、それについて10分でも勉強することが、自律した学習者になる一歩でもある。 「やらされる勉強」から「やりたい勉強」へ移行すればいいんだ。 まさしく「自主的」な勉強から「主体的」な学びへのシフトチェンジですね。 ともに学校をつくるために!昨年度より桜小学校の学校づくりにご指導いただいている東京大学大学院教授の小国善弘先生から先月末来校された時の感想が届きました! 南港桜小学校の先生方 先日は授業を見学させてくださり、ありがとうございます。全体として、子どもを大事にしようという先生方の思いが伝わってくる授業が多かったような気がします。 しんどい子どもが大切にされる教室へと南港桜の先生方の教室が変わってきているような全体としての印象を持ちました。 <全体の感想> 三つの風船の話を校長先生からうかがいました。 ・「自分も人も大切にする」子どもを育てようとしたら、「自分も人も大切にできる」教室を大人が保障しないといけないのでしょう。そうなると、「自分のこともできていないのに人の世話を焼いてはいけません」なんて、大人が言ってはだめだということですよね。友達同士のかかわりをたくさん増やすことも重要でしょう。 「失敗を恐れずチャレンジする」子どもを育てるのは、「失敗を楽しみ、失敗から一緒に学ぶことのできる」教室を保障しないといけないわけですね。 「自分で考え、自分から動く」子どもを育てるには、すべて指示しているようではだめなのだろうと思います。 ・そうすると、先生が子どもが正しい知識を獲得できるように教えることも大事だとは思いますが、子ども同士で、いろんな試行錯誤ができる時間をどのように授業の中に取り入れるのかということが大事なのだろうと感じます。 ・では、そのためになにができるのか。そんな挑戦と学び合いが先生方のなかで深まっていくと素敵だなと思います。「失敗を恐れずチャレンジする」子どもを育てるためには、失敗を恐れずチャレンジする教職員の集団が必要ですよね。そんな先生方の学びの姿を次回はぜひ研修の場で見せていただけたらと感じています。 ・今回見せていただいたクラスは、感想をきちんと書けなかったクラスも含めて(ごめんなさい)、すべて素敵な子ども、素敵な先生たちの学級でした。次回改めてお目にかかる機会を楽しみにしています。 小国喜弘 今年度の研究テーマである 「子どもが学ぶ、子ども同士が学び合う」授業研究に向けて、一人ひとりが当事者意識を持って挑みます!そのためにも小国先生とともに学びましょう!いい意味で小国先生を利用しましょう!すべて「自分で考え、自分から動く!」です! 許せる自分!「学校に頼らなければ学力は伸びる」(山本崇雄 著)より、 ボクが問題にぶっかった時もそうだけど、生徒たちが迷っているのが見えた時は、いつもここに戻るように指導しているんだ。その1つが自分を許す「Forgiveの精神」 Forgiveは「許す」という意味の英語だ。そもそも、キミたちは一人ひとり違ったスピードで成長しているから、成長の度合いはそれぞれ「違っていい」はず。ところが、われわれは年齢によって「できるはずのこと」「できないこと」について多くの思い込みにとらわれがちだ。 例えば、算数の九九が小学校高学年になっても怪しい子がいるとしたら、この子は勉強ができない子だろうか?もしそう考えるなら、それは「九九は小学校2年生で覚えるもの」という思い込みにとらわれているからだ。 じつは、この「思い込み」を作っているのが学習指導要領。学習指導要領は、日本のどの地域でも同質の教育ができるように文科省が作っているもので、学年ごとに教師が教えるべき内容が示されている。 もちろんそれは素晴らしいことなんだけど、見方を変えれば、教える側の都合で作られているとも言えるんた。だって、一人ひとりの成長スピードの違いを考えたら、何をどの学年で学ぶかはもっと自由であるべきだし、理解度によっては、やり直す機会を持てることが当たり前になってほしい。(中略) 今の学校には、時間に支配された「直線の時間」が流れている。中間考査や期末考査があり、その間にいろいろな行事が詰め込まれている。試験で悪い点を取ると形式的な追試や課題が出され、「できる、できない」にかかわらず次のテストに向かって授業は進んでいく。 こうした、時間に支配された「直線の時間」が流れる学校では、「できる生徒」と「できない生徒」を生み出す。決められた時間で決められた範囲の問題を解かなければならないので、時間内で終わらなければ「できない生徒」という烙印を押されることになる。(中略) だから、ボクは「学校は時間に支配されるべきではない」と思っている。「できる、できない」を表にして貼り出す必要はない。一人ひとりの学びのスピードは違っていいんだ。よく「大学生になっても分数の計算ができない」と嘆く人がいるけと、ボクは何歳であってもできないことがあれば、「できるようになる可能性がある」ととらえるべきだと思う。年齢を問わずいつでも学び直せるんだ。(中略) 人は誰もがそれぞれ自分の時計を持っている。それはけっして、他人と比較するものではないと思ってほしい。 「自分を許す」とは、言い換えれば「自分を好きになる」ことではないでしょうか。今の自分を自分が認め、自分らしくありのままでいることではないでしょうか。Forgiveの精神をすべての人が持てば、すべての人が安心できる居場所のある空間ができると思います。 |
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