対話は世界平和?「ゼロから学べる 道徳科 授業づくり」(荒木 寿友 著 明治図書)より、 対話を通じて、その場にいるメンバーにとっての「最適解」や「最善解」を探究していくこと、そしてその探究の過程において、「私」は、そして「私たち」はどう生きていくのかという共同体感覚が育まれていくのです。 この共同体感覚は、自分たちだけで固まって周りの世界を閉ざすという感覚ではありません。「自分のクラス最高!」というような「クラス至上主義」でもありません。自他の尊重がベースにあるので、自分の所属しているコミュニティも尊重することにつながってきます。 おそらく世界で生じているさまざまな問題の背後には、自分たちこそ正義で他は間違っているという、歪んだ共同体感覚があるように思います。自分たちのコミュニティに誇りを持ち、他のコミュニティを尊重する、その上で両者が同じ地平に立てるような調和点を探究していくことが求められています。 対話への道徳教育を私が考えるのは、このような地球規模の問題をいかにすれば平和に解決できるかという視点に立っているからです。その解決の糸口が、特に学校教育全体として取り組む道徳教育にあるのではないかと考えています。 「先の読めない」「答えが一つでない」時代の中で、今その時の、「納得解」を見つけ出すことは、社会のみならず、学校においても求め続けなければならない。 AI時代における学校の役割は知識を教えるのではなく、「自分で考えて、自分から発信して、仲間と協働して、答えを導き出す力を育てる」ことである。 子どもも大人も3つの風船を、自分なりに自分らしく膨らませましょう! 対話の意味とは?「ゼロから学べる 道徳科 授業づくり」(荒木 寿友 著 明治図書)より、 言葉を交わしている両者の中に「新しい意味」がうまれてくること、それが対話です。ブラジルの教育学者フレイレは、対話を水平的な関係とした上で 「愛、希望、相互信頼によって結ばれるとき、(対話を行う)両者は共同して批判的探究へ向かうことが可能になる。真の交流をつくりだすのは、対話だけである」と述べています。つまり対話とは、お互いを尊重するという人間関係がベースとなって、ともに批判的探究をおこなっていく、それによってこれまで知らなかった新しい意味や物事の考え方に辿り着くことを意味しています。 このように捉えられる対話は、話し合いや議論とはちょっと重みが違います。話し合いや議論はコミュニケーションの形態を表現した言葉ですが、対話はそもそもの人間のあり方、自己と他者の尊重、自分の考え方や社会のあり方の前提を問うという批判的な態度、新しい考え方の獲得といったさまざまな意味を含んでいます。そしてこういった対話が学校の中に溢れてくることそのものが、非常に道徳的であると考えています。(明日へ続く) 荒木先生の「対話への道徳教育」はまさに、自分への問いかけからはじまる。「自分ならどう思うのか?どう感じるのか?どう行動するのか?」そこがなければ対話ははじまらない!! 桜小学校の3つの風船は、この対話を成立させる上でいずれも欠かすことができない。 「自分も人も大切にする」 自己と他者の尊重! 「自分で考え自分から動く」 自分の考え方や社会のあり方を問う批判的な態度! 「失敗を恐れずチャレンジする」 新しい考え方の獲得! めざす子ども像に向けて、大人も学び続けます! パラパラ!「へんしんパラパラ!」 これが今子どもたちが取り組んでいるタイトルです!色鉛筆やマジックを巧みに使って、自分なりのお話にそって絵を完成させていきます!透明ビニールを重ねながら、物語の流れを絵にしていきます! どんな絵にお話になるのか楽しみです! どんどん進化!「ボールをもっていくのは誰?」 このテーマが今学級で話題になっています!子どもたちはボールの取り合いについて対話しています!ボールを取った時の気持ち!ボールを取られた時の気持ち!そばで見ていた時の気持ち!ひとつのボールを巡って、子どもたちは何が大切なことなのかを考えます! 結論は「自分勝手」にならないこと!みんなのボールはみんなで仲良く使うこと!一見当たり前のことだけれど、そこを改めて考えることが大事! 子どもたちは自分の言葉で自分から自分らしく伝えます!これが素敵!ピンチはチャンス!どんどん進化する子どもたちです。 駆け巡る!爽やかな風の中、子どもたちが颯爽とトラックを走ります!リレーは盛り上がる競技のひとつ!子どもたちはイキイキと、楽しそうに運動場を駆け巡ります! |
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