新しい時代の幕開け!いよいよあと数時間で平成が終わりを迎えます。なんだか寂しさを感じます。と同時に、新しい年である令和の始まりに胸躍ります。目の前の環境は変わりませんが、心の持ち方はいくらでも変えることができます。自分で考えて、自分から動く、主体性を持って、新しい時代を迎えたいです。 さて、4月最後の全校朝会で、「自主的と主体的の違いは?」という大人でも難しいテーマにチャレンジしました。(詳しくはホームぺージの4月22日をご覧ください) これらの言葉は似ているようで似ていない!「自主的(性)」が決められたテーマ(例えば掃除や給食などの当番!学校のルール!宿題!など)の中で発揮される行動力に対して、「主体的(性)」とは何をすべきか決められていないことを、自分の意思で決断し、行動することです。 主体的な人の行動は、他人の意見に流されることがありません。また、自らの行動に責任を取ります。謙虚さを持ち、他の人々と協調しながら目的を達成することができます。簡単に言うと、自分の頭で考え行動することができる、周囲に良い影響を与えることができる人です。 「自主性」はある意味、管理された中での率先垂範、優等生的な行動であるのに対して、「主体性」は自分で考えて行動することです。「自主性」が歯車のひとつであるのに対して、「主体性」は全てを包括させた人間としての動き、生きていることそのものと言うことができるのではないでしょうか! これからの不透明、予想できない時代を生き抜くために、「自分で考え、自分から動く」子どもを育てましょう!そして、大人自らが「主体性」のある自分で生き抜きましょう! 教えるからの進化を!教師の役割の変化について、もう少し言うと、「教えない授業」では、教師の役割は「ファシリテーター」となることです。ファシリテーターとは、「進行(まとめ)役、司会、円滑にする人、世話役」と訳されます。授業では、子どもたちが学習活動をスムーズに進められるよう支援していく役割を担う人のこと(=促す人)のことを指します。円滑に授業を進行する舵取りの役割ですから、行き先である目標をしっかり示すことも大切になります。前の記事にも書いたように、子ども同士の活動の時間が増えるので、教師には子どもをじっくりと観察する時間が生まれます。こうして見守っていると、子どもの人間関係がよく見えます。教室内の一人ひとりはそれぞれ違った個性、能力を持っているので、ペアワークやグループワークなどでうまくいかない子どもも出てきます。そんな時こそ、早い段階でトラブルを見つけ、困っている子どもの相談にのることもできます。このように子どもを観察する時間は、教師が前に立って、板書しながら話をする講義型の授業では生まれません。「教えない授業」は一見すると放任しているようですが、教室の中での教師の役割は多く、教師と子どもの距離はより近づいていくのです。子どもに活動させているときは、子どものいいところを見つけるチャンスです。子どものいいところを見つけ、フィードバックすることによって、子どもには「見守られている」という安心感が生まれます。その結果、子どもは教室を安心して学ぶことができる場所ととらえるようになるのです。 チーム桜は「教える」から「促す」の大人のチームをめざします! 大人も学ぶ!職員室の背面ホワイトボードが進化しています! 今年度の教職員の研究のテーマ!それは、「子どもが学ぶ・子ども同士が学び合う授業実践」です。 「教える」から「促す」へ意識を変えることです。! 「教えない授業」と教師が前に立って一斉に授業を行う講義型の授業の違いとは何か?まず、「知識や解き方を分かりやすく教える」という従来の先生の役割が大きく変わります。つまり、「何をどの程度教えるか」ではなく、「何をどのような手段で学ばせるのか」を意識した授業になります。さらに、「教えない」ことで教師に従来にはなかった時間の余裕が生まれます。生まれた時間は子どもの観察に当てることができます。一人ひとり異なる特性や課題をしっかり観察し、フィードバックすることが教師に求められます。特に大切なのが、子どもを見守りながら成長を感じ取り、そのことを子どもに伝える力、子ども同士をつなぐ力です。このように、教師は役割を大きく変化させなければいけません。しかし、教師がいらないわけではありません。役割は変わっても、「教えない授業」は決して子どもを放任する授業ではないのです。むしろ「教えない授業」では、子どもの成長を見守る教師の温かい視線がこれまで以上に必要になるのです。 大人のチーム目標を達成するために、いよいよ動き出します。 平成よさようなら!いよいよ平成も今日一日で終わろうとしています。さて、今日は堀江貴文さんの著書、「お金や人脈、学歴はいらない!情報だけ武器にしろ」からの一節。 今の学校教育というのは、子どもが何をしたいかよりも形を整えることを優先していて、親もそれが正しいと思い込んでいるからやっかいだ。そんな現代の学校教育に一石を投じたい。 たとえば、今、仕事がAIやロボットにどんどん奪われるのではないかという議論が活発だけれども、僕はそうではなくて、「今、仕事として認識されてないものが仕事になるだけだ」と思っている。 たとえば、江戸時代の日本では人口の85%が百姓だったから、当時のほとんどの人の仕事は農業だった。 ところが、農業は生産性が高まり、海外からの輸入などで衰退していって、高度経済成長以降はトヨタをはじめとする製造業が日本人の仕事になった。その製造業も今後はAIやロボットの発達で労働者を抱えられなくなる。やがてベーシックインカムのような制度が普及し、働かないでも生きられるようになるだろう。 そうすると伸びてくるのは、遊び産業である。労働時間が減ったり、労働する必要のない人が増えたりすれば、その人たち向けに「遊び」を提供しなければならなくなる。すでに今、プロのゲーマーが活躍するeスポーツや夜遊び経済を新聞が取り上げるようになってきた。 だから、親がゲームをするなといって子どもを叱るのは僕から見ればバカなことだと思う。子どもがゲーム好きならどんどんやらせて将来のために才能を磨くべきだと思う。もちろん、ゲームである必要はなく、何でもいい。 「好きなことをやるのはいいけれど、将来はいったいどうなるんだ?」こんな反論をする人には、プロサッカー選手、本田圭佑のツイートを読ませたい。 「好きな事だけでは食っていけない。これ違う。大して好きじゃないから食ってけるレベルに到達できないのであって、時間を忘れるくらい好きな事ならどんな事であっても必ず食っていける。」 僕は本田選手と対談したことがあるが、彼ほどいい意味で「日本のプロスポーツの常識にとらわれていない人」はいない、と尊敬している。 本来は若いうちほど、将来のために猛烈に好きなことに没頭したり、思いっきり遊んだり、とにかく「実践」するべきなのだ。 かなり過激な言葉もありましたが、最新情報に常にアンテナをはり、発信する著者からは、学ぶべきことが多くあると思います。自分の好きなこと、夢中になれることを見つけることは大切なことですよね。何よりも大人が仕事や生き方を心から楽しんでいる姿を子どもたちに見せ続けたいですね!これから始まる令和の時代にワクワクしながら、アンテナをしっかりと張り巡らせて、自分で考え、自分から動くを実践しましょう! 本当の幸せとは何か?「なぜ教えない授業が学力を伸ばすのか」(著 山本崇雄 日経BP社) の一節、 より多様化、国際化する社会。AI(人工知能)の発達などによる職業の変化。それに伴って、学校や教育も変わらなければならないという流れの中で、親の意識はどうでしょうか。どんな親でも、子どもの幸せを願っていると思いますが、そのために親であるみなさんは、どんな力を子どもにつけさせたいですか?大学に入れば、いい会社に就職でき、終身雇用が約束されるという考え方はすでに崩壊しています。今ある仕事や企業が今後もあり続けるという保証はどこにもありません。 一方、僕たちの親世代の多くは、大学に入れば就職がある程度約束されているという道を歩んできました。また、この道を歩めば、将来を「確かなもの」としてとらえられた時代でした。従って、大学、それも特定の難関大学に進学することが重要な意味を持ちました。 今、子どもたちの本当の幸せとは何かを考えたとき、その姿を見えにくくしているのは、親世代のこういった経験ではないでしょうか。これからの時代は、働き方や生き方も多様になり、将来はより「不確か」なものになるでしょう。大学に入るだけでは、この「不確か」な未来を乗り切ることはできません。入試の結果だけを見るのではなく、その後の子どもが生きていく社会をイメージし、その中で子どもたちが強く生きていく姿を思い描くことが大事です。また、大学入試での合格は決して人生のゴールではありません。長い人生の中での、一つのステップであることを忘れてはいけません。たとえ大学入試に失敗しても心配する必要はありません。失敗しても、また立ち上がる力を持つことのほうが大切です。 「不確かな時代」「変化の激しい時代」を生き抜くために、必要な力が何なのか?目の前の子どもたちが将来自分らしく生き抜くための力とは何なのか?学校も親も、まわりの大人が真剣に考えなければなりません。 |
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