席替えで子どもをつなげる!「教えない授業の始め方」(山本 崇雄 著 「アルク」)より、 グローバル化するリアルな社会では、多様な文化や価値観が広がっています。そのような社会にこれから出ていく生徒たちにとって「多様性」は一つのキーワードです。生徒に多様性を感じさせ、目標に向かい協働していく経験をさせるには、教室の固定した座席をいかに崩して行くかが鍵になります。(中略) 最近では、アクティブ・ラーニングを意識してペアワークを授業に取り入れる先生も増えています。固定された席だと、1時間目から6時間目まで同じパートナーとペアワークをしなければならない状況も生まれてきます。もし、パートナーが自分と気の合わない人であったらどうでしょう。学校に来るのが嫌になっても不思議ではありません。 席替えは、教室の人間関係を流動的に壊していきます。 また、席替えで「できる」「できない」の差が埋まっていきます。「できる」生徒は「できない」生徒のために、英語を何度も言い換え、ジェスチャーや表情を豊かにし、伝えようとします。「できない」生徒は必死に「できる」生徒の表現をコピーします。多様なレベルの生徒が、席替えを繰り返していくことで、お互いに補い合い、差が埋まってくると考えます。 さらに、席替えで「動く」という行為自体が、授業にメリハリを生み、生徒の集中力を持続させ、一つ一つの活動の質が上がります。単純になりがちなトレーニングなどの活動の質を上げることも学力の向上につながります。 教室をいかにして多様性の空間にしていくのか?考え方の多様性をより目に見える形でリアルに表現するには、「席替え」の活用は一つの手段になるかもしれません。多くの教室は毎月席替えをしているようです。これを毎週や毎時間、学習内容に応じて席替えをするとどうなるでしょうか?単に席を替えるだけなら学習効果にはつながりません。大事なことはどんなことを考えさせ、どんなふうに子ども同士をつなげることができるのか!その目的のための席替えを意識することが大切です。手段にとらわれず目的を見失わないことですね! 安心できる居場所とは?「教えない授業の始め方」(山本 崇雄 著 「アルク」)より、 コミュニケーションが双方向になるように、まず教師は授業を双方向性にする必要があります。もし、授業が黒板とチョークで一方的に講義する形であれば、教師と生徒が相互理解を深めることができません。お互いに学びのパートナーシップを対等に取り、どちらの意見も優劣はなく対等なものにしていきましょう。「教えない授業」の「教えない」は、教師が一方的に「教える」のはやめ、生徒からも「学ぶ」対等なパートナーシップを組んでいくという意味でもあります。(中略) 矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、自律した生徒は「分からない」「助けて」が言えます。自分に何が欠けているかを客観視し、クラスの中の適切な人を見極め、その人に頼ることができます。クラス全体を俯瞰して見る力があるので、協働作業の時にそれぞれの強みを生かそうとします。 そして、「分からない」「助けて」が言えるためには、クラスが安全・安心の場になっていて、円環の(循環する)時間が流れていなければならないことも忘れてはなりません。 人と人が対等に学び合える空間には、何を言っても大丈夫!何を言っても受け入れてもらえる!安心感が必要です。分からない子どもが「分からん!教えて!」と威張っている教室!分かる子どもが「どう言えばわかるかな?あれ、自分もわかってなかったかも?」と分かり直しをする教室!そんな教室をめざしましょう!きっとそんな教室では、どの子どもも安心できる居場所があるはずです! 子どもから学ぶ大人!「教えない授業の始め方」(山本 崇雄 著 「アルク」)より、 学校ではこれまで、教師が生徒に「教える」というベクトルが一方向だけに向いていました。これを双方向にしていき、教師と生徒がお互いに学び合うパートナーシップを組んでいくのがこれからの学校のあり方だと思います。「教えない」の先に、「生徒から学ぶ」時間を設けてもいいのではないでしょうか?インターネットやAI、動画やアニメ文化など、僕ら大人が彼らから学べることはたくさんあるのではないでしょうか。 今、盛んに行われている教育改革も本当は子どもたちと共に行っていくべきです。オリンピックイヤーの2020年には、10年に1度改定される新学習指導要領が小学校で全面実施されます。翌年には大学入試改革を受けて、センター入試に変わる大学入試共通テストの実施が始まり、各大学の英語の入試でも、民間の4技能試験の結果を利用するところもあり、大きく変化します。これらは当事者である子どもたちにとってはとても大きな変化です。 もちろん改革に携わる方々は子どもたちの将来を考えて議論してくださっていると思います。しかし、これらの改革の多くは大人側の都合で進められ、結果に左右されているのは子どもたち自身です。僕らはもっと当事者である子どもたちの声を聞くべきではないでしょうか。(中略) 少子高齢化の進む現代で、学校がリアルな社会とシームレスになり、子どもたちが社会の大人とのつながりを感じるだけでなく、社会の大人が子どもたちからも学ぶ。学校がハブになることによって、全ての世代がパートナーシップを組み、学び合っていく社会をつくっていけるのではないでしょうか。 桜小学校のめざす大人のチーム像のひとつ、それが「子どもから学ぶ大人のチーム」です!そして、私たち大人に大事なことは常に子どもをわかった気にならないことです!わからないからわかろうと努力することが大切なことです!すると、気づくことがあります。それは、「子どもの力は凄いこと」そして、「子どもは大人を越えること」です。だからこそ、「子どもから学ぶこと」が互いの成長に必要なのです。学校は社会の縮図でなければいけません!学校は社会とつながっていないといけません!そこで学ぶ子どもは社会に生きる自分をイメージできなければなりません。そして、私たち教師は子どもたちにその社会をイメージしやすい環境を整え、「生きて働く力」を育まなければなりません。 宿題はいるの?いらないの?「教えない授業の始め方」(山本 崇雄 著 「アルク」)より、 リアルな社会では、常に選択を迫られます。答えのない問題に対して、どう現状把握するか、どう情報収集するか、誰と協働するか、誰に相談するか、いつまでに何をするか・・・全て選択して決めなければなりません。 しかし、学校では生徒が何かを選んで学ぶ機会はほとんどありません。「親身で丁寧な指導」で一方的に教えれば教えるほど、生徒から選択する自由を奪います。宿題が多過ぎれば、生徒は家庭での学びの選択さえできません。例えば、「ワークの○から○ページまで、答え合わせをして提出しなさい」という宿題を考えてみましょう。この範囲の全ての問題が、全ての生徒に必要だということはまずありません。ある生徒にとっては簡単過ぎるでしょうし、ある生徒には難し過ぎるでしょう。 宿題の是非は様々な意見があるでしょう。もしかしたら宿題がないなんてありえないと思われる方もいるかもしれません。しかし、「わかる子ども」にとって宿題は必要ないかもしれません。本来の宿題の目的は、子どもに学力をつけることです。わからないことを、わかるようにすることが宿題の目的です。さらに言えば、子どもの理解度に応じて、宿題の内容を変えればいい!個別に最適な宿題にすれば、宿題の意味は生まれるのではないでしょうか!もしかしたら、今の学校は先生が成績をつけるために宿題を提出させることが宿題の目的になってしまっていないか?を問い直さなければいけない気がします。 VUCAの時代とは?「教えない授業の始め方」(山本 崇雄 著 「アルク」)より、 このように直線の時間が流れる学校は19世紀末の日本の産業革命以降125年以上大きく変わっていません。その証拠にどの世代の人と話しても、授業のスタイルや行事、宿題、部活動など共有できる課題がたくさんあるのではないでしょうか?その一方、リアルな社会はものすごい勢いで変化しています。AI、ビッグデーター、VR(仮想現実)、ブロックチェーンなど、世の中のあらゆる場面で、インターネットにつながったテクノロジーが社会を大きく変革する時代です。 その結果、リアルな社会と学校はものすごい勢いで離れてしまっています。日本の多くの学校では、答えのあるテストに向けて、勉強していきます。解決方法は先生が丁寧に教えてくれます。テストも答えがある問題を一人で解きます。相談するとカンニングになり厳しく怒られます。入試も同じです。 その結果、テストや入試だけを目標にしてしまうと、最優先事項は自分のための勉強となり、協働することは自分に利益をもたらさないものと捉えかねません。また、答えのない問題に粘り強く取り組むことができず、すぐに解法や模範解答を求めるようになります。効率よくテストの答えを導き出すことが勉強の中心になってしまうのです。 明治時代以降の変わらぬ日本の教育を今年度を境に、大きく変える時代が来ました。テストや入試のために勉強するのではない、何のために勉強するのか?VUCAの時代(※VUCAとは「Volatility」(変動性)「Uncertainty」(不確実性)「Complexity」(複雑性)「Ambiguity」(曖昧性) の頭文字を取った言葉で、あらゆるものを取り巻く環境が複雑性を増し、想定外の事象が次々と発生するため、将来の予測が困難な状態を指す言葉)において、教育現場は子どもたちにどんな力をつけなければならないのか!自分自身に問いかけましょう! |
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