保護者の思い先日の学校保健委員会研修会に参加された保護者や教職員など大人の声を集めました。 「子どもの世界は大人が思っているよりも、危険な道をすでに進んでおり、私たちはわかっていながらも、大阪のどこかの学校だろうという気持ちで受け取っている。」 「子どもはブラックハートの処理がうまくできないと思うので、ブラックハートを空っぽにできる家庭を目指したいと思います。」 「『自分が自分らしく居ることができる世界がわかっているのが大人』という言葉が出ましたが、大人の中でもわかっていない人がいるなと思いました。」 知的好奇心を揺さぶる!「おしごと算数」の学びに向かう子どもたちの顔はいつになく真剣そのもの!だからって硬い表情ではありません!どの子も「知りたい!」「伝えたい!」「試してみたい!」と知的好奇心があふれている様子でした!そんな子どもの目線っていいですよね!どんな授業も知的好奇心を揺さぶる学びであればいいですね! 学びは楽しい!身の回りにある様々な形!に目を向けるところから始まった「おしごと算数」の授業! 「なんで蜂の巣は6角形?」 「面積が一番大きいのはどれ?」 「隙間がない方が壊れにくい?」 そこか、 「キレイに敷きつめられるのはどんな図形かな?」で、子どもたちは紙に向かって鉛筆を走らせます! 講師の方から 「失敗はOK!」 「今日はたくさん失敗しよう!」 「失敗が多い方が成長するよ!」 と、桜小学校の3つの風船のひとつ「失敗を恐れず、チャレンジする」を膨らませました! 「敷きつめられる一番大きな形は6角形」 これ、「ハニカムこうぞう」と言うそう!そこから6角形の内角を探します!子どもの中には120度!って見つけた子どももいました。 次に身近なロゴマークに注目!「三角だけでかけるのは?」意識してみると、様々なロゴは三角や四角などの基本形でできているのがわかりました。 さあ、そこで、自分で幾何学模様のデッサンにチャレンジ!習ったばかりのコンパスを上手に使う子どもたち!フリーハンドでも重なりから産まれる図形の面白さを感じる子どもたち! 今日の学びで子どもたちは図形の面白さを感じることができました!ここから子ども自身の興味や関心が広がればいいですね。 最後に講師の方の素敵な言葉! 「わかんないことをわかんないと言えることは最高!」 「他の子のものを真似していいよ!」 「チームで賢くなるからね!」 「わかるとできるは違う!」 講師のみなさん!ありがとうございました! 踊って!歌って!あいにくの雨模様の中、講堂にはあったかい空気が流れました。 ミュージッククラブによるパプリカの合奏からスタート!リズムの強弱や間合いなど、これまでの練習の成果を発揮する子どもたち!後半は、みんなで、歌って踊りました!体を動かすことで歌にも伸びが出て、みんなで楽しい時間を過ごすことができました!保護者の方にもピアノで参加いただきました!ありがとうございました! 広い心と眼?「勉強するのは何のため?(苫野一徳 著 日本評論社)」より、 「一般化のワナ」 教育をめぐって意見が対立する理由、それはまず何より、わたしたち全員が教育を受けた経験をもっているからです。 みんな教育に対して、なんらかのいいたいことをもっている。不満があれば、文句の一つもいってみたくなる。そしてみんながみんな、それをストーレトに主張し合うから、収拾がつかなくなってしまうのです。 これをわたしは、「一般化のワナ」と呼んでいます。一般化とは要するに、自分だけの限られた経験を、ほかの人にもあてはまるものとして考えてしまうことです。 たとえば、かつて受験エリートだった大人たちは、そんな自分の経験を一般化して、「勉強するのはいい大学に入っていい仕事につくためだ」と、自分の子どもにもいったりすることがあります。 一方、学歴を必要としない職業についた大人たちは、そんな自分の経験を一般化して、「学校の勉強なんて何の役にも立たない」というかもしれません。 でも、人それぞれ、受けてきた教育の経験も、そこから得たものも、役に立ったのも立たなかったものも、本当はみんな違っているのです。 だから、わたしたちが自分の経験を一般化していうことが、すべての人にあてはまるというわけではありません。「勉強は将来いい暮らしをするために必要なものだ」、と思う人もいれば、「学校の勉強なんて何の役にも立たない」と思う人もいる。どちらが正しいというわけでもないし、どちらかが絶対に間違っているというわけでもない。それだけのことなのです。 ここで大事なことは、人の考えを「寛容」に受けとめる力ではないでしょうか?そして、世の中にはいろんな考えの人がいて、それぞれに考えが違って当然で、それを受けとめた上で、じゃあ相手を尊重できるところがどこなのか?歩み寄れるところはどこなのか?を「対話」を通じて語り合うことではないでしょうか? どちらかの「正解」を求めるのではなく、「納得解」を見つけることが、これからの「先の見えない、答えがひとつではない時代」には必要なことなのだと思います。 |
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