校長室より 5月8日(金)

みなさん、おはようございます。校長の銭本です。
 昨日は連休中にテレビドラマを楽しんだ話、180年前には子どもは労働者として働かされていた話。そのような時代から多くの人々の努力で「教育を受ける権利」をみなさんは持つことができたことを話しました。
 不学な私に教育学という素晴らしい世界との出会いをつくってくださったエピソードも話しましたが、先生のお名前を書いていませんでした。石井教授です。講義のあと研究室に招いてくださり、ソクラテス、ルソー、ロック、ヘルバルト、シュプランガー、ブルーナー、デューイなど多くの啓蒙家や教育学者の話をしてくださいました。この先生との出会いがなければ、先生という職業にはついていなかったと思います。先生の研究室には「ETWAS NEUES(ドイツ語で『何かあたらしいことを』という意味) 」「FESTINA LENTE(ラテン語で『悠々として急げ』という意味)」の二つの言葉が額に入っていました。この言葉が大好きで、手帳を買ったときには表紙の裏にこの言葉を記しています。ドイツに留学したときに驚いたのですが、バッサーマン教授の研究室にも同じ言葉がありました。研究者にとって万国共通の言葉なんですね。
 
 さて、連休中に楽しんだことがもう一つあります。「オーケストラ」についての本を読んだことです。「オーケストラ」をみなさんは知っていますね。100人近い人が一つの曲を演奏する大集団です。しかし、ピアノやギターなどの楽器を習っている人や音楽に親しんでいる人でも「オーケストラ」については知らないことがたくさんあると思います。私もその一人です。
 例えば「オーケストラのメンバーはなぜ、オーケストラに入ったのか。」「どのようなテストを受けて入ったのか。」「演奏する楽器によって地位の違いはあるのか。」「演奏中ほぼ弾きつづけているバイオリン奏者と演奏機会の少ないハープなどの楽器の演奏者の給料は同じなのか。」「オーケストラを去るまで450回も同じ曲をコンサートで演奏するという経験はどのようなものか。」「なぜ指揮者が変わるとオーケストラの音も変わるのか。」などについてはよく知りません。これらの様々な疑問について世界中のオーケストラのメンバーや指揮者にインタビューして情報を集めたのが「オーケストラ——知りたかったことのすべて――」という本です。
 この本の中に、ベネズエラ人のエディクソン・ルイス少年のエピソードが載っています。ベネズエラという国はとても貧しい国で犯罪が多く発生している国です。そんな環境の中、わずか19歳で世界の最高峰ベルリン・フィルのコントラバス奏者になった実話です。

 ベネズエラ人のエディクソン・ルイスはとてもプロの演奏家に至るような環境で育ったわけではなかった。問題児であった彼を育てた母親は50歳で職を失い、深夜タクシーの運転手となり、銃を携えてタクシーを運転する毎日だった。エディクソン少年の攻撃的な性格はどこにも収まる様子はなかった。カラテを習わせても合唱団に入れても、すぐに追い出されてしまうのだ。そのころ、母親が「エル・システマ」と呼ばれるものを耳にした。これは指揮者グスターボ・ドゥダメルによって広められたベネズエラの教育機関で、実際にオーケストラをつくって子どもたちに音楽の手ほどきをするというシステムである。ここでエディクソン・ルイスは10歳の時にビオラを試してみるが、これは大失敗であった。だが、コントラバスを聴いて虜となった。11歳でコントラバスを習いはじめ、14歳で国内の青少年オーケストラでも最高級となるシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラに入り、16歳でインディアナポリス・コンクールで1等賞をとり、ドイツ北部のシュレースビッヒ=ホルシュタイン音楽祭の夏期ユース・オーケストラに選抜された。そこで「ヨーロッパの父」となるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のクラウス・シュトールやヤンネ・サクサラと出会い、カラヤン・アカデミーへ誘われた。19歳でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーとなり、かつては息子の将来を悲観していた母親を2度も招待している。

 1985年生まれのエディクソン少年は現在35歳。現在もベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で活躍しています。どこに素晴らしい出会いが待っているかわかりません。みなさんにはいろいろと試すチャンスと時間がたくさんあります。世の中にはみなさんとの素敵な出会いを待っているモノやコト、ヒトがきっとあるはずです。エディクソン少年のような経験ができるよう広い視野をもち、様々なことにチャレンジし、チャンスをつかむことを期待します。

 来週から週1回の登校日があります。詳しい説明はホームページでお知らせします。元気なみなさんに会えるのを楽しみにしています。「教育を受ける権利」を満喫してください。

臨時休校期間の延長について

 令和2年5月11日(月)から5月31日(日)まで 21日間、休校期間を延長します。
 ただし、臨時休業の期間や範囲については、国の緊急事態宣言や大阪府域の感染状況等により、変更する場合があります。
 また、11日以降は登校日を設けます。登校日の日程と時間につきましては、明日ホームページとメールでお知らせいたします。

4年生のみなさんへ

課題は届きましたか?
郵送したプリントに「計算ドリル7ページだけは、ノートに、ひっ算をかいてしましょう。」とありますが、7ページ以外でもノートにかいていても、問題ありません。もちろん、計算ドリルに直接、書き込んでいても問題ありません。
毎日少しずつ、がんばってとりくんでくださいね。

3年生のみなさんへ(5月7日)

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 体ちょうはどうでしょうか?元気にすごしていますか?
 
 今回の学習内ようは2つあります。

 1つ目は、道徳「もっとしらべたかったから」です。

 前回の1回目につづき、道徳の教科書と道徳ノートを用いしてくださいね。
 ホームページにのっている、先生ノートを見ながら考えてみてくださいね!

2つ目は、算数科「わり算」の5回目です。
 内ようは、「答えが九九にないわり算」です。
 算数の教科書と算数ノートを用いしてくださいね。

 ※本田小学校ホームページの休業中特設(きゅうぎょうちゅうとくせつ)ページに学習内ようがのっています。

http://swa.city-osaka.ed.jp/swas/index.php?id=e...

 では、じゅんびはいいですか?
 さあ、はじめましょう!!

 ★つぎのホームページ学習は5月11日(月)はいしんよていです★

3年生たんにん
笹先生、田内先生、流田先生より

校長室より 5月7日(木)

みなさん、おはようございます。校長の銭本です。
 ステイ・ホームができたことと思います。久しぶりに「仁 JIN」というドラマを夢中で観ました。主人公南方仁は東都大学付属病院に勤める脳外科医。その主人公が幕末の1862年にタイムスリップし、電気も医薬品もない時代で様々な困難に立ち向かい解決するというドラマです。「南方仁役の大沢たかおさんはかっこよすぎやなあ、橘咲役の綾瀬はるかさんはあまりにもせつない。成就しない恋なのに、それでもその恋に尽くす。ああ、ええなあ。」久しぶりにドラマの世界にどっぷりつかりました。でも、一つだけ違和感のあることがありました。ドラマの中で何度も繰り返されるキーワード。「神は乗り越えられる試練しか与えない」という台詞についてです。以前、教養の足しになればと聖書を読んだことがあります。この台詞がコリントの信徒への手紙10章13節の「神は耐えられない試練は与えない」という言葉からの引用であれば、ちょっとドラマの見方が変わるかなと思いました。「仁」の中ではこの台詞を「あなたはこんな試練に負けるほど弱くない。がんばれ」という意味で使われているように思いました。でも、聖書では「あなたは小さくて弱い人です。でも神様がそばで支えてくれるから、困難な中でも希望をもてるよ」という意味で書かれています。聖書に書かれている意味でもう一度「仁」を観ると主人公の人物像が異なって見えるかもしれません。まあ、どうでもいいことですが、一つの台詞にこだわってドラマを観て、評論家になったつもりで解釈するのも暇つぶしにはなりました。この話を奥さんにすると「面倒な人やなあ。ドラマを純粋に楽しめばいいの。」と叱られてしまいました。みなさんに忠告します。感動的なドラマの後では、黙っていた方がいいですよ。余計な講釈をすると叱られますから。

 以前に本の整理をしたと書きましたが、本箱もなんとか形になりました。学生時代に買った本を久しぶりに手に取りました。岩波文庫の「「資本論」という本です。紙が酸化して黄色くなっています。この本には格別の思い出があります。
 
 もう、44年も前のことです。
 世界で初めての百科事典「世界図絵」を作ったコメニウスという人についての講義がありました。この人は百科事典を作っただけでなく、学校での授業を始めて考えた偉い人です。その人の「大教授学」という本をみんなで読むことになりました。
 ある日、その本をいやいや読んでいる私に
「この本は世界で初めて <あらゆる人に、あらゆる事柄を教授する>方法を書いた本です。なんでそんなにつまらなさそうに読むんだ」
と先生にしかられました。怖いもの知らずの無知であった私は先生に
「現在の先生は<あらゆる人に、あらゆる事柄を教授する>ことは普通にしている。子どもは学校に来て、勉強をする。こんな当たり前のことを、なぜ、こんな分厚い本を読み直す必要があるんですか。」と言い返しました。そのとき先生は
「今、当たり前にされている授業がどのようにして考えだされたのかを知ることははとても重要なことです。当たり前に子どもが学校にくるようになったのはいつからですか。なぜ、当たり前に子どもは学校で学ぶことができるようになったのですか。この『当たり前』について君は知っていますか。」と厳しく質問されました。そして、「どっちみち、君の読解力では読めないだろうが、『資本論』を買って読んでみなさい。長文だから、とりあえず354ページだけでも読んだらどうかね。君の凡庸な考えも少しはましになるだろう。」と言われました。少しいらいらしながら大学の本屋に行き、今よりは少し素直だった私は「資本論」を買いました。「3768ページもある。あの先生、嫌みやわ。君の読解力では読めないだろうといいながら、こんなページ数の本を買わすなんて。とりあえず354ページだけ、読もう。」そこには次のような文がありました。ここに書かれているのは1836年のイギリスの出来事です。

  
 夜中の2時、3時、4時に、9歳から10歳の子どもたちが汚いベッドのなかからたたき起こされ、ただかろうじて生活をするお金を得るためだけに夜の10時、11時、12時までむりやり働かされる。彼らの手足はやせ細り、からだは縮み、顔の表情は能面のようになり、その人格は全く石のような無感覚の中で硬直し、見るも無惨な様相を呈している。

 あるマッチ製造工場の調査で、聴き取りを行った労働者のうち、270人が18歳未満、40人が10歳未満、そのうち10人はわずか8歳、5人はわずか6歳だった。

 ショックでした。今から44年前、19歳の学生だった私は「わずか140年前には、子どもは学校にもいけず、過酷な労働をしいられていた。子どもが子どもとして扱われていない。子どもは小さな大人としてとらえられ、労働力として扱われていた。」ということは全く知りませんでした。19歳の若造が「世の中のことは何でも知っている。」というような態度を先生の前でとったことを非常に恥じました。そして、知らないことがたくさんあること、知らなければいけないことがたくさんあることを知りました。先生がすすめてくださった「資本論」という本で、初めて無知である自分を知りました。
 実は、この本はまだ全部読めていません。理解が難しく(先生が言われたように読解力がないのです)、半分も読んでいません。しかし、この本の354ページは非常にショックでした。

 今、みなさんは学校に通えなくて家で学習しています。学校には来ることができないですが、安心して過ごすことができる家にいます。今からわずか180年余り前、先進国であったイギリスでさえ、子どもたちは工場で朝から晩遅くまで働かされていました。いろいろな人の努力があって、みなさんは「教育を受ける権利」を持つことができました。私たち教職員はみなさんの「教育を受ける権利」をコロナ禍の中でも守ろうと思い、たくさんのプリントを郵送しました。まだ、届いていない人ももうすぐ届くと思います。新型コロナウィルス感染拡大の被害にあっているみなさんは、本当に気の毒だと思います。でも、みなさんには180年前のイギリスの子どもとちがって「教育を受ける権利」と「安心して過ごすことのできる家」があります。ですから、つらいとは思いますが、郵送された学習を手にとり、みなさん自身で「教育を受ける権利」をまっとうしてください。

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