校長室より 5月26日(火)
みなさん おはようございます。校長の銭本です。
緊急事態宣言解除をうけ、少しずつ学校での学習が再開できそうな雰囲気になってきました。といっても、感染拡大予防のためいろいろな配慮があり、多少、窮屈な思いをみなさんにはさせますが、大阪市全部の学校が取り組んでいることです。我慢してください。 さて、ファッションに興味を持っている人がいると思います。おしゃれな服をデザインし、製作するデザイナーになってみたいと思っている人もいるかもしれません。今日は服だけでなく「新しい女性像」をデザインしたデザイナーを紹介したいと思います。その人の名前はココ・シャネル。「シャネル」の名前を聞いたことがあるかもしれません。 1883年にフランスの田舎町で生まれたココ・シャネルはお母さんが12歳でなくなったために孤児院で過ごします。貧乏をしていたシャネルは誰にも頼らず、自分の力で生きたいと思いいろいろな仕事をします。その中で天職として出会ったのがデザイナーです。 当時の女性のファッションはコルセットでぎゅうぎゅうにお腹を絞り上げ、すそを引きずって歩くような長いスカートをはき、頭には大きな羽飾りが付いた帽子をかぶり、バランスの悪い靴でよちよち歩くというものでした。こんな動きにくい服を着た貴婦人を男性はおしゃれな人と思っていたようです。 このような時代にシャネルはこのようなファッション界で常識となっていたルールを次々に破っていきました。女性の身体をコルセットで縛り付けるのをやめ、ゆったりとしたラインの動きやすい服をつくりました。すそをひきずるようなスカートも、膝丈にして歩きやすくしました。女性の服にポケットを付けたのもシャネルが最初です。無駄がなく、着心地のよい服をつくり、単なるおしゃれでなく着ている女性が喜ぶための服をつくりました。こうした斬新なファッションは時代の追い風をうけて世界中に広まりました。 第1次世界大戦が勃発し、働き盛りの男性が戦争に行ったので、女性が働く必要が高まりました。動きやすくてファッショナブルな服はさらに評判になりました。それからはハンドバックや香水など次々と革命的なアイテムを発表し、世界中の女性をとりこにしました。 1954年に71歳になったシャネルは社会進出を果たした女性のために「シャネル・スーツ」を発表し、働き自立する女性を応援しました。 独自のファッション哲学で、女性をコルセットから開放し、女性に自立と自由を与えたココ・シャネルは洋服だけでなく「新しい女性像」をデザインした本物のデザイナーです。 本田小学校から新しいファッション哲学を創造し、「新しい人間像」をデザインするデザイナーが誕生することを期待します。 6月1日(月)からの学校再開について
6月1日(月)からの学校再開についての手紙を添付しておりますので、ご覧ください。
※登校時間につきましては、明日(5月26日)、ホームページと学校メールにて連絡させていただきます。 6月1日(月)の学校再開について いちねんせいのみなさんへ(5月25日)せんしゅうのとうこうびにまいた、あさがおのたねから、めがでてきました。おおきくなるように、あしたは、みずやりをしましょうね。 「おうちでもうえました」と、てがみをくれたおともだちもいます。どちらがさきに、おおきくなるか、たのしみですね。 きょうのほーむぺーじがくしゅうは、こくごの「さとうとしお」です。さとうとしおの、にているところやちがうところをみつけていきましょう。こくごのきょうかしょとふでばこ、きんようびにくばった、ほーむぺーじのぷりんとしゅうをよういして、はじめましょう。 http://swa.city-osaka.ed.jp/swas/index.php?id=e... いちねんせいたんにん うめだせんせい しらいせんせい たにかわせんせい しぎせんせい より 3年生のみなさんへ(5月25日)6月1日から2グループに分かれてのとう校がはじまります。少しずつですが、いぜんのような学校生活にもどれることが楽しみですね。 これからも三みつに気をつけて、しっかり手あらいをしながら、元気に毎日をすごしましょう。 明日は、とう校日です。れんらくちょうを見て、わすれ物のないように用意をしてくださいね。 先生たちは、みんなが元気にとう校するのをまっていますよ。 では、今日もホームページを活用した学習をしましょう。 理科の『チョウを育てよう』です。チョウがどのように生まれて育っていくのかについて学習します。 休業中特設(きゅうぎょうちゅうとくせつ)ページに学習内ようがのっています。 http://swa.city-osaka.ed.jp/swas/index.php?id=e... では、じゅんびはいいですか? さあ、はじめましょう。 3年生たんにん 笹先生、田内先生、流田先生より 校長室より 5月25日(月)
みなさん おはようございます。校長の銭本です。
6月1日から各学級を2分割した分散登校ですが、一日3時間授業ができるようになりました。変則的な時間割になりますが、学校の授業に少しずつなれてほしいと思います。明日から6年生は一日3時間授業の授業、その他の学年は学級を3分割した登校日になります。健康観察をしっかりして登校してください。 さて、みなさんは悪夢というのを経験したことがあるでしょうか。私は高校2年生の時、バッハ作曲ブランデンブルグ協奏曲4番の第1楽章の出だしで、とんでもない間違いをしました。レの音から曲が始まるのにドの音を吹いてしまいました。この曲はリコーダーとバイオリンのための協奏曲なので私のミスは許しがたいミスでした。「しまった」と思いドからレへと素早く吹き直したつもりだったのですが、指揮者の眉間には何とも言えないしわがよっていました。体調が優れないときには必ずこの夢を見ます。「とんでもない失敗をしたとき、偉人たちはどのように立ち直るのか。」とにかく手当り次第に読書をしているのはその答えを見つけ出すためかもしれません。 少し古い選手ですが、みなさんはロベルト・バッジョというサッカー選手を知っていますか。ファンタジスタと呼ばれた素晴らしいイタリアの選手です。数々の伝説的なプレーでファンを魅了しました。 忘れられないのは1994年ワールドカッブアメリカ大会の決勝イタリア対ブラジル戦。 試合は延長でも決着がつかず、PK戦に。ブラジルがリードしたまま、最終キッカーはロベルト・バッジョ。外せばイタリアは負け。バッジョであれば外すはずがない。誰もが思いました。 バッジョが蹴ったボールはゴールから大きくそれ、この瞬間ブラジルの優勝が決まってしまいました。世界が注目するワールドかツプの最後にPKを外す。当然ですが、バッジョ自身、この瞬間を何度も夢に見て苦しんでいると語っています。 しかし、その苦しみの中からバッジョは名言を残します。 「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ。」 ロベルト・バッジョの自伝「天の扉」を何度も読みました。この本はどこかにいってしまって手元にないのですが、「失敗してもいい。PKを蹴る勇気を持とう」という信念だけは残っています。 |
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