音楽科 3年生最後の授業本来卒業式でのクライマックス「卒業の歌」として練習し披露するはずだった「群青」を合唱体型になってビデオ撮りを行いました。 とはいえ、日ごろはマスクをつけて距離を空けて歌うようにしていますが、さすがに合唱体型では「密」飛沫」を避けることはできず、やむを得ず音源に合わせて「口パク」での録画となりました。 卒業式で歌わせたかったという思いは非常に強く、一日も早く日常を取り戻せるようになりたいものです。 1年 インクルーシブ教育 発達障害について学習しましたインクルーシブ教育 発達障害について学習しました。 1年 インクルーシブ教育 発達障害について学習しましたインクルーシブ教育 発達障害について学習しました。 給食 今日の逸品今日の逸品 豚肉のコチジャンいため、トック、もやしのナムル 3年学年集会 いろんな人に出会って成長をたまたまテレビを見ていたら、IPS細胞で有名な山中伸弥教授がフルマラソンに出場していた。なぜこの人が走っているのだろうと不思議であったが、後にその理由がわかります。大きく影響されたのがある人物との出会いでした。 同年代のヒーローでありラグビー界のレジェンド平尾誠二さんとの対談企画が持ち上がります。伏見工、同志社時代の平尾に憧れ自身も大学時代に楕円の球を追いかけていたほどです。対談は、IPS細胞、部下への対応、海外留学の意義、世界で活躍するためになど、大いに盛り上がります。特に、平尾誠二が再生医療の実用化についてよく調べて対談できたことに感動し、また、平尾誠二も憧れであったことに喜んだそうです。「先生に影響与えたことを、家で自慢する」と言っていたそうです。 その後、忙しい二人ですが1〜2カ月に一度会い、メールも頻繁にやり取りするように。やがて家族ぐるみの付き合いになります。互いに「素」のままでつきあうことができ、尊敬し合える友でした。幸せを感じたその時に、平尾が吐血、がんが判明しました。山中は病院に駆けつけCTを見る。深刻な病状で医師によっては終末医療を進める方もいるぐらいでした。しかし、平尾は動じない「しゃあないわ、先生」という感じ。何も変わらない平尾がいた。手術・化学療法・免疫療法、大阪の森ノ宮の病院が進んだ医療を行っていた。自分が持っているすべての力を持って闘うことを家族と山中に誓う。様々な治験を繰り返す中で、平尾は「先生!俺らは、誰もチャレンジしていないことに取り組むねんな!」と。残念ながら、2017年彼は他界します。がんばろうという言葉は、やらされていることだから嫌いだとよく言っていたが、彼が臨終間際に山中につぶやいた言葉は「がんばる」であったと思われます。 数カ月立って、墓に訪れた山中は墓石に抱きついたそうです。一緒にすごしたのは、亡くなるまでの数年。長いつきあいの人たちが、墓参りしてからと遠慮していたが、気持ちが高ぶったのでしょう。その後、マラソン大会に出場。「いや先生いける、いける」って声が聞こえた。ゴールした時、自己ベスト3時間27分でした。京都マラソン54歳での記録。このとき、平尾の声が聞こえたそうである。不可能だった30分の壁を越えたそうです。 最後に、研究を続けていくにはお金がかかる。政府がお金をくれないなら、自分で作る。何かできることがあるはずなのでベストを尽くしていこう。それが平尾に影響を受けた彼のマラソンへの挑戦です。3年生が、成長してくれてうれしい、頑張っただけの成果が出ています。いろんな人との出会いを大切にしてください。と話がしめくくられました。 |