創立記念日長い時間、多くの方に見守られながら、この度72歳のお誕生日を迎えた豊崎中学校。 ここからたくさんの卒業生が巣立っていきました。 「豊崎中学校の歴史」 昭和24年(1949年)に大阪市立大淀第2中学校として、本校は産声をあげました。4月時点では、まだ校舎が完成していなかったため、豊崎本庄小学校の空き教室2教室をお借りして1年生の2学級から始まりました。そして、「豊崎中学校」と改称されたのが、同年5月1日です。6月3日に現在の職員室の棟に位置する場所に、新校舎(木造本館、木造西館計16教室)が完成しました。そして創立記念日となった6月4日は、豊崎本庄小学校からこの地に移転した日なのです。当時の敷地は、現在の半分もない広さだったようです。校庭の真ん中には、昭和20年(1945年)3月13日の大阪大空襲の際、1トン爆弾で破壊された校舎が残っており、爆弾の跡が、とても生々しかったとのことです。 あれから72年がたちました。今週の金曜日、6月4日を迎えます。創立記念日にちなみ、当時の資料を読み、今月号で取り上げました。本校の歴史にちょっと関心を持ってもらえたでしょうか。これからも、たいせつに豊崎中学校を育てていきましょう。 今月の【豊崎中だより】から、以上抜粋。 希望にあふれた子どもたちの声は、当時から今と変わらず校舎のなかに響きわたっていたことでしょうね。 豊崎中学校の敷地内には多くの歴史の跡があります。生徒のみなさんも当時のことを想像しながらぜひ探してみてください。 子どもたちの歓声が帰ってきました
多目的室では、生徒会のメンバーが昼食時に流す「もぐもぐラジオ」の読み合わせをしていました。
教室では、文化係が集まり、文化発表会のテーマ決めをしていました。10月に予定されている文化発表会、今から動き始めています。 PC教室では、技術の授業の居残りをしていました。 それぞれの放課後が、ようやく動き出しました。感染者を出すことなく、早く、日常を取り戻したいものです。 子どもたちの歓声が帰ってきました
久しぶりの活動です。
ゆっくりとしたペースで始めています。今日は、早めに、床についてください。 子どもたちの歓声が帰ってきました
ボールの音、楽器の音、久しぶりの放課後の風景です。
子どもたちの歓声が帰ってきました
2日、本日より、条件付きで部活動が再開されました。
どの部活動も、感染症の対策をしっかりとって、活動しています。 |