大阪大空襲の語り部さんをお招きして 11/15戦火の磯路へ 昭和20年3月13日 第一次大阪大空襲で 浪速区・中央区・西区・大正区・港区が焦土と化しました 敷津国民学校も 磯路国民学校も 翌日が卒業式でした 卒業式は行われることなく 学校も家も町も焼失してしまいました 当時 敷津国民学校4年生だった辻和子さん(現在87才)は、卒業生を見送るために早く寝て深夜、空襲警報のサイレンで目覚めて、必死で逃げ惑い家も学校も焼けて失くなって生き残った方です 敷津小学校に戦争語り部として 小さな後輩たちに学校と町の歴史を伝えるために来ていただいていました そして私が 敷津小学校から転勤して来た 磯路小学校はヒロシマ修学旅行に向けて平和学習を積み上げている学校でした 昨年度、修学旅行直前の子どもたちに話をしに来ていただきました 辻さんには御礼に 子どもたちが著した全校児童文集『磯路の子』創刊号をお贈りしました そこには6年生の子どもたち各人が記した平和学習の集大成「わたしの平和論」が並んでいます そして 令和3年11月15日(月曜日) 広島から帰って来た6年生と 来年広島に行く5年生と合同で講堂で 辻さんをお迎えしました 戦火の敷津から 戦火の磯路へ 代表児童二人のお礼の言葉は台本なしで 今日辻さんがぼくたちに教えてくださった戦争のことは、ぼくたちが次の世代に伝えていきます 今日は本当にありがとうございました と。 今日はわざわざ遠い所から来てくださってありがとうございました 今日のためにわざわざリハビリをして来てくださってありがとうございました 広島で勉強してきたことと、今日辻さんに聞いたお話しをあわせて、次の世代に伝えて行きたいと思います 今日はありがとうございました と。 退場する辻さんをエスコートしながら 背中から聞こえる 今まで聞いたことのない 地鳴りのするような拍手が 講堂から出ても鳴りやまず 最後に 講堂の奥から再び ありがとうございました! 絶叫が響きました。 コロナ自粛で足腰が弱っておられましたが 来年も来ます! 来年も来たい!という思いをもてた また一つ 生きがいができた と 帰ってゆかれました 歴史のバトンが渡されました ますますお元気で ありがとうございました 前・敷津小学校校長 現・磯路小学校校長 糸井 利則 11/15 給食11/12 給食11/11 給食いそじオリンピック 6年生
6年組の 未来へ
ともに 「もののけ姫」組曲 We are 会心の一撃 |