いま始まる新しいいま詩を読もう、です。 扱われているのは、川崎 洋(かわさき ひろし)さんの 『いま始まる新しいいま』という詩です。 「心臓から送り出された新鮮な血液は 十数秒で全身をめぐる わたしはさっきのわたしではない そしてあなたも わたしたちはいつも新しい」・・・から始まるこの詩。 担任の先生から、授業の最後に 「なぜ、この詩を2学期の始めの詩として学習するのか、 わかるかな」という問いかけがありました。 子どもたちからは、 「『いま』というのは2学期のことで、『過去』というのは、1学期のことかな。だから、2学期の始めに勉強するんだと思う」 「これから、いろいろ挑戦しよう!という気持ちになるから」 「1学期のことも、新しい気持ちで取り組む、ということかな」といった意見が出ました。「わたしもそう思う」「ぼくも同じ」とそれぞれに自分と重なる意見に挙手。子どもたちどうし、お互いに確認し合っていました。 この詩の中盤には、 「きのう知らなかったことを きょう知る喜び きのは気がつかなかったけど きょう見えてくるものがある」 また、終盤には、 「いつも いつも 新しいいのちを生きよう いま始まる新しいいま」とあります。 ともすれば、何気なく過ぎていってしまう「日々の時間」。 子どもたちと過ごせる「いま」を大切に、また明日からも過ごしていきたいものです。 今、できることを模索しながら…5年生がリコーダーの練習をしていました。 コロナ禍のなか、授業を行ううえでもっとも配慮を要し、 もっともできることが狭まっている教科のひとつが音楽です。 授業前後の消毒はもちろんですが、授業のなかでも小刻み且つ丁寧に、 場面、場面での指導の連続のなか、子どもたちは「音」を奏でることを「楽」しんでいます。 今日は「キリマンジャロ」という曲でした。 まずは、音をならさずに、指の運び方だけを練習。 ひとつひとつの音を確認しながら、繰り返し押さえていきます。 「さあ、あと3回やりましょう。できるようになるからね。」 難しそうな子どもの様子には寄り添って、励まして…。 いよいよ音出しの場面では、みんなフェイスシールドを装着して、そっと音を出していました。 コロナによって、できないことは確かに増えました。でも、そこに留まることなく、できることは何かを考え、そのなかでいかにして子どもたちに、より楽しい授業づくりを進めていくのか。育和小学校の授業には、試行錯誤のなかで積み重ねてきた創意や工夫がたくさん込められていることを感じた、学習の一場面でした。 ビオトープで探してみようふと廊下の窓からのぞくと ちょうど3年生がビオトープに入っていくところでした。 今日は、理科の「こん虫のすみか」という単元の学習のようです。 校庭に出かけて、こん虫を探すのですが、 さあ、どんな生き物たちと出会ったかなぁ…。 もし見つけたら、なぜそこにいたのかも考えてみましょうね。 身近な用具に慣れていこう図画工作科ではじめてカッターナイフを使いますよ、という場面でした。 教科書にある「つかいかた」を見ながら、 またカッターナイフの実物を拡大して写しながら説明を進めます。 子どもたちは、手元の自分の教科書と見比べながら、 ふむふむと、とってもわかりやすそうでした。 「刃を出すのは、2メモリまでだね」 「たくさん出しすぎるとけがするよ」 「そっか。刃が折れてもあぶないもんねぇ…」 身近な用具を安全につかいながら、試しながら、 表現の幅がさらに広がっていくといいですね。 また元気に・・・今日はまた、元気に子どもたちが 登校してきてくれました。 1年生も、 担任の先生の指示に合わせて身体を動かしたり、 新しい漢字の学習を進めたりと、がんばっています。 |
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