いつも そこが じぶんの 居場所 い・そ・じ  みんな ちがって みんな いい

桜まつり

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桜まつり 3/31

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磯路三丁目桜通りが
歩行者天国に

すべての住民が人生初!

桜まつり 気球体験 3/31

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校庭を見下ろす異次元体験

桜まつり 校庭で気球

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最初で最後の桜まつりを彩るために
気球に乗って桜通りを見下ろそうという企画に協力して

校庭運動場で気球を上げることになりました

卒業生が無料招待され
一般申し込みは即完売

最初で最後の桜まつり

こちらも
最初で最後の校庭からの気球体験となりました

桜通りと桂音会、その歴史

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磯路地区にはかつて
桂町と音羽町がありました

磯路小学校は元々
中央大通り(旧区民センター)にあり
現在の磯路小学校はかつて
音羽小学校でした

戦争で
音羽国民学校も
磯路国民学校も
大阪大空襲で焼失し

戦後
磯路小学校は復興
音羽小学校は廃校になり

音羽小学校は
磯路小学校分校となり
地下鉄・中央大通り建設に伴い、音羽小学校跡地に磯路小学校が移転統合されたのが
昭和27年(1952年)

校歌の一番
「音羽の庭に仰ぐ窓」という
歌詞に面影を残しています

人口30万人が1万人になったという壊滅状態の焦土から
復興に向かうなか
台風高潮洪水で再び壊滅状態に陥る港区

胸が痛み
頭が下がるばかりです

そこで
町全体を2メートル盛土して
災害に強い待ちにするという
壮大な
世界に類を見ない
土地区画整理事業が始まりました

その復興のシンボルとして
地元有志の方々が桜の植樹を始めたのが昭和38年
1963年のことでした

大阪市では
ソメイヨシノの根が
道路に与える影響を考慮し
街路樹として植えることに難色を示しましたが

地元の有志の方々で
かつての町名(桂町と音羽町)を継いで「桂音会」を発足し

以来60年間
桜の木の剪定手入れ
毛虫の駆除
落ち葉の清掃等
長年地道に守り続けて来られました

しかし
長年の根の成長で道路は
けが人が出るほどぼこぼこ

老朽に伴い
枝が折れて車の往き来にも支障が出るほどになり

いよいよ街路樹としての寿命が近づいてきた、とのことで

伐採計画が始まりました
昨年
危険な老木は先に切られていますが

この六十年の歴史ある
桜並木
磯路三丁目桜通りの見納めとして今回
最初で最後の桜まつりが
開催されたわけです

なんでこんなにきれいのに
切るんや!

思うのも当然ですが

私自身
地元の多くの方の話を聴いて
その思いと経緯と、いまの現状を知り

ここに
地域コミュニティーの拠点としての学校として

記録に残しておこうと思います

歴史事実と違うところがあれが
どうぞご教示ください

文責校長
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