学校日記

今日の一言 9月25日 いくらまわされても 針は 天極を指す (2)

公開日
2014/09/25
更新日
2014/09/25

校長雑感 一隅を照らす

森信三先生の「修身教授録」の第36講「誠」に次のようにあります。
(天王寺師範学校の教諭であった森信三が教員の卵である学生に「教育者の道」を講義したときの一節です)

*** *** ***

 ・・・真実の道というものは、「自分がこれを開くんだ」というような考えでは、
真に開けるものではないようです。・・・
「自分が道を開くのだ」というような一切の野心やはからいが消え去って、
このわが身わが心の一切を、現在自分が当面しているつとめに向かって捧げ切る「誠」によってのみ、開かれるのであります。
*** *** ***

「自分の信念を方位磁針にたとえ、目指した方向を見失わずに進もう!」という考え方と一見同じようにみえます。しかし、そこには大きな違いがあります。

自分の信念=己というものが中心となって定めた「天極を目指して」進むのか。

もしくは、

そのようなちっぽけな〈個〉を超えた「大いなる存在」が定めた「天極に導かれて」己の歩を進めていくのか。


私は、後者であるように思うのです。

では、

学校において「天極」とは、何になるのでしょうか?

(つづく)