学校日記

今日の一言 4月6日 日本の伝統芸能 その2

公開日
2015/04/06
更新日
2015/04/07

校長雑感 一隅を照らす

クラシックの音楽は「ずれない」のでしょうか?

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ピアノを習っている人がよく知っている≪ハノン≫。

音の粒を揃える為に、≪ハノン≫を練習すると言われていた時代に私は学生でした。

音の粒が揃っていなくては、よろしくない。
きれいに音が並んだ演奏がすばらしい。

音のコントロールとはそういうものだと、長い間、思っていました。

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数年前、名伯楽と謳われたピアノの名教師に息子がレッスンを受けることになりました。

何人もの名ピアニストを育てた人です。そのレッスンを聞く恩恵にあずかりました。

彼が息子やほかの生徒に言っていることは、多くありませんでした。

「どんなに小さな単位(音が二つ以上あること)の音楽も、その音楽には方向性がある。
二つの音が同じように鳴らされることはない!」

このことを徹底的に叩き込まされます。
全ての音の動きに対して「その音はどこへ向かっているのか?」「方向性が決まったら、その音はどのように鳴るべきなのか?」
質問攻めです。
「わからない」という答えをする子どももいます。
そういう子には、あの曲は知っているか、この曲はどうか、といろいろな曲を例として示します。曲だけではなく、文学などからもヒントを探します。

音楽が理解されてはじめて、ピアノを弾くテクニックのはなしに移っていきます。

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音の粒を揃えてはいけないのです。

そうではなく、鳴るべき音を鳴らすためのテクニックが必要なのです。

そして、如何に一つひとつの音が独立してコントロールされ、しかも独立している音が全体と調和し、全体の大きな音楽づくりに寄与するか。
もし、一つでも正しく鳴らされていない音があったとすると、全体は壊れてしまいます。

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私たちが美しいと思いながら聴く名演奏は、実は、一つ一つの音は個性的であり、平均的な音の並びからすると、飛び出たり、引っ込んだりしているのです。

でも、そこには自然のルールに適合した凹凸があります。だからこそ生れ出るエネルギーがあります。

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日本の長唄。あの「ずれ」は必然なんだろうな、と思いました。

こじつけかも知れませんが、人と人の集まりも似たものではないか。
学校もいろんな人たちの集まりが自然の素晴らしさを生むのではないかと・・・。