学校日記

今日の一言 5月13日 修学旅行・広島へ

公開日
2015/05/13
更新日
2015/05/13

校長雑感 一隅を照らす

2014年6月 

ヒロシマ




【その1】
幼稚園から小学校の低学年。
小学校高学年から高校1年まで、
広島に通算で8年暮らしたことがあります。

その後、28年ドイツで生活しました。

「広島に住んでいたことがある」とドイツ人にはなすと、

一様に暗い表情になり、原子爆弾のことや広島の今のことを
いろいろ訊いてきます。

広島で小学校・中学校(千羽鶴で有名な佐々木貞子さんの卒業した幟町小学校と1年生だけいた幟町中学校です)を卒業した私は、彼らの質問になんとかかんとか答えた記憶があります。
しかし、それ以上に記憶に残っているのは、
世界で唯一被ばくした国は日本なんだ、と強く意識したことです。

*** *** ***
【その2】
小学校6年の1学期のころは、島根県・松江にいました。修学旅行で広島に行きました。
2学期には広島に転校したのですが。

松江にいるころは、同級生たちと軍艦や戦闘機の影の絵を見て、名前を当てる遊びをしたり、まんが「のらくろ」「紫電改のタカ」を読んだり、昭和一桁生まれの父が歌う軍歌を覚えて一緒に歌ったりしていました。
同級生たちも似たりよったりでした。

そんな時に修学旅行で広島に行ったのです。バスの中でうたう歌は、流行歌にまじって軍歌もあります。
松江からバスに乗り、中国山脈をこえるころ、バスガイドさんの提案で「きょうちくとうのうた」をうたいました。

ヒロシマについても話してくれました・・・だんだん広島に近づいてきました。


・・・一泊二日。平和公園・宮島、楽しいことばかり覚えています。


でも
帰りのバスの中。
   もう軍歌は誰も歌っていません。
          戦争ごっこも誰もしなくなりました。

*** *** ***
【その3】
小学校2年の2学期、広島に住んでいました。

怖い夢を見ました。

昼間だと思うのですが、薄暗く重苦しい空気。
岸辺から見上げると、そこには焼けたような石の橋が見えます。
橋を通りこしたずっと上には、雲が赤黒くひろがる空。

橋のうえに、ひとり、また ひとりと人影が。

目を凝らすと
力なく伸びたうでの先からは、服なのか何かわからない布切れのようなものが、ぶらりと、ぶら下がっています。

うわー怖いと思って、
頭を右に動かしても、橋の映像は一緒についてきます。
  左に動かしても、ついてきます。

もう駄目だと、目が覚めると大汗をかいてぶるぶる震えていました。

母のところに行くとすぐ熱を計ってくれました。40度近い熱です。

この日から、私は小児リュウマチのため2学期をまるまる病院で過ごすことになりました。

*** *** ***

今では、広島は力強く、明るい街です。広島カープも強いですね。


でも、日本人として、日本で教育を受けた者として、広島の地を訪れ、あのときのヒロシマを感じることは、とてもとても大切だと思います。

これから国際社会で生きていく桃陽小学校の子どもたちが、広島を語り、力強く明るく平和を求める心持つことができることを願います。

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本日、学習参観とPTA全委員会の間の時間に、「平成28年の修学旅行の行先変更と行事の見直し」について説明をさせていただきました。

平成28年度から、修学旅行(秋)の行き先が広島に変更となります。
それに伴い、運動会を春、6年生の林間学校は取りやめることになりました。

宜しくご理解の程お願い申し上げます。