学校日記

今日の一言 5月29日 ふるさと

公開日
2015/05/30
更新日
2015/05/30

校長雑感 一隅を照らす

ここにいる先生方は、合唱して!とお願いすると、すぐに2部・3部合唱をアカペラで歌うことができるのですか?

・・・・もちろん!!!!音楽部長先生はそうおっしゃって、会の最後まで残っていた20人ほどの先生方が、私のリクエストで「唱歌 ふるさと」を歌って下さいました。

昨日の大阪市小学校教育研究会音楽部の会議の後のことです。

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ミュンヘン日本人国際学校で勤務(理事・事務局長)していたころ、夜な夜な音楽室に行っては、ピアノで唱歌ふるさとを弾いては、遠く日本のことを想っていました。
そのころの気持ちをこの1年ちょっと、忘れていました。

・・・夢は今もめぐて  忘れがたき ふるさと
・・・いかにいます 父母(ちちはは)
   つつがなしや 友がき
・・・志を 果たして
   いつの日にか 帰らん

特にこの歌詞は、いつも心に響いていました。

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ふるさとは

遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

室生 犀星
『抒情小曲集』(大七)巻頭の詩「小景異情」その二(全部で十行)の冒頭。有名な詩句だが、これは遠方にあって故郷を思う詩ではない。上京した犀星が、志を得ず、郷里金沢との間を往復していた苦闘時代、帰郷した折に作った詩である。故郷は孤立無援の青年には懐かしく忘れがたい。それだけに、そこが冷ややかである時は胸にこたえて悲しい。その愛憎の複雑な思いを、感傷と反抗心をこめて歌っているのである。
(引用 HP 大岡真ことば館より)

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在ドイツ28年の間、私の心境に合っていたのは、唱歌 ふるさとではなく、実はこの詩でした。

決して人生の道を踏み外したのではない。でも、志を果たしたとも決して言えない。
そんな心境でのドイツと日本の往復。
一時帰国した日本・故郷はどことなくよそよそしく、自分を受け入れてくれているようには思えませんでした。だんだん、遠くなっていく。そんな「故郷」。犀星の詩が心に突き刺さりました。

そうだった、こんな気持ちだったな、胸におもりが付いたような感覚が呼びさまされます。

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桃陽が、子どもたちの「ふるさと」になってほしい。
桃陽地区に代々暮らしていらっしゃる方にも、桃陽に移り住んで来た方にも、ここが故郷。
ウサギも追わず、小ぶなもつらず、青き山はなく、清き水も流ていないけれど、父母・ともだちと暮らし、夢・志を立てた街。

子どもたちにとっては、まぎれもなく、ここ桃陽がふるさと!

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私は今、大阪に桃陽に

よそよそしさを感じていないことに、不思議だな〜と

と少しだけ驚いています。


「犀星」より「ふるさと」が身近になったのかもしれない。

そんなことを想いながら、先生方のうたう「ふるさと」を感慨深く聴きました。

(大阪市の音楽の先生方、素晴らしい!! ありがとうございます)