学校日記

今日の一言 7月1日 シンパシーからエンパシーへ

公開日
2015/07/01
更新日
2015/07/01

校長雑感 一隅を照らす

*** 同情から共感へ ***

これは、昨年の6月に開催された「大阪市人権・同和教育研究大会全体会」の平田オリザ氏の記念講演の中での言葉です。

少々乱暴な引用になりますが・・・・


シンパシーからエンパシーへというように、シンパシー型教育からエンパシー型教育へと呼んでいます。訳が難しいのですが、同情から共感へ。
(中略)
わかりやすい例は、いじめのロールプレイです。経験の浅い先生は「ほら、いじめられた子の気持ちになってごらん」と言います。いじめられた子の気持ちがわかるんだったら、多分いじめないよなあと思います。いじめらた子の気持ちはわからないです。でもいじめっ子にも他の人から何かされて嫌だった経験はあるはず。この経験といじめっ子の気持ちを結びつけてやるということが大切なのです。
(中略)
学校の先生方は真面目なので「相手の立場に立ちなさい、相手の気持ちになりなさい」と。子どもたちにとっては大きなプレッシャーになっている。相手の立場に完全に立てないと一気にコミュニケーションを遮断してしまう。そういうことではなく、ちょっとずつちょっとずつ相手の気持ちと自分の気持ちと共有できる部分を見つけていく、そして広げていくということが現実的なコミュニケーションではないかと思っています。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

平田氏は、この講演では

【コンテクストを理解する】
【コミュニケーションをデザインする】

  という流れから

【シンパシーからエンパシーへ】

  と展開し

【異文化理解能力と合意形成能力】
【ダブルバインド状態の日本の若者】自己喪失感・操られ感

【日本型のコミュニケーションをつくる】
 で、締めくくられています。

 
≪日本人は、知り合い同士の「会話=conversation」は得意だが、知らない人との情報交換や、知っている人同士でも価値観が異なる人との「対話=dialogue」は苦手。

島国・村社会の日本。「心をひとつに」「一致団結」がすごく得意で、多様性を認めにくい「察しあう」「分かり合う」という社会を作ってきた。

これからの若者、子どもたちがつけていかなければならない大事な能力は
「わかり合う、察しあう文化を基盤にしながら、それをどうやって説明していくかという能力」≫

*** *** ***

徹底してわかり合えなければ一緒に前へ進むことができない、と思い込んでいないか。

共感するという距離感なら、たくさんの人たちと穏やかで平和な社会を作ることが出来るような気がします。

(写真:Wikipediaから)