学校日記

今日の一言 3月2日 外国語教育に想う その3

公開日
2016/03/02
更新日
2016/03/02

校長雑感 一隅を照らす

こちらに来るまでの私は、ドイツ・ミュンヘンにある日本人学校(日系企業の駐在子弟が通学する全日制の学校。小中一貫校)の事務局長・理事として学校運営に携わっていました。


主な業務は、学校運営上必要な
「運営母体の理事会運営・学校の許認可・財務・人事・営繕など」です。

特に、理事会の運営が大きな仕事でした。理事会のメンバーは全員、日本人。在ミュンヘンの日系企業の現地法人の社長や支店長の方々です。

彼らと一緒に学校を運営していきます。

月に一度の理事会では、様々なことを話します。

たとえば、
 学校の許認可について、ミュンヘン市からの要望への対応。
 自前で立てた校舎建設時に起こった建設会社との係争の処理。
 スクールバス会社の入札について。
 現地採用者の雇用契約書の内容について。
 ・・・などなど

具体的に何をするのか・・・

たとえば
 ミュンヘン市の学校局(教育委員会)やバイエルン州の教育省からの手紙を日本語に訳し、要約を理事会で説明し、対応策を協議します。今度はその結果を先方にドイツ語の手紙にして回答します。

というとすごいようですが、ドイツ語から日本語への要約はできても、日本語からドイツ語へは簡単ではありません。

私がするのは準備だけです。

学校で雇っているドイツ人の女性事務職員に理事会での協議内容と回答をドイツ語で伝えます。彼女が作成した文書が間違いなく理事会の意思を伝える内容になっているかチェックします。

ここで私の必要なドイツ語能力は、次のようなものです。
 ・ドイツ語の文書を理解できること。
 ・それを日本の人たちがわかるように、日本語に要約できること。
 ・日本語をおおよそのドイツ語に訳し、
  こちらの意図が正しく通じるドイツ語の文書を
  ドイツ人に書かせること。正確に格調高く書けているかなどを、
  チェックできること。

私の語学力で仕事上問題は起きませんでしたし、役には立てたように思います。

しかし、とてもはお恥ずかしいはなしですが・・・

私は、帰国する最後までドイツ人のような発音もできなかったし、ドイツ人のようなドイツ語を話すことも書くこともできませんでした。

ドイツ生まれでドイツ育ちの息子の前で、ドイツ語を話すと嫌がられたものです。

・  ・  ・  ・

さて、私はドイツ語ができたのでしょうか?
それとも、できなかったのでしょうか?

(つづく)