学校日記

今日の一言 4月6日 笑うから幸福なのだ

公開日
2016/04/06
更新日
2016/04/06

校長雑感 一隅を照らす

自分を愛してくれる人たちのために

我々がなしうる最善のことは、

やはり自分が幸せになることだ


幸福になろうと望まないならば、

幸福になることは不可能だ、

自分の幸福を望み、

それを作らなければならない



幸福だから笑うわけではない、

笑うから幸福なのだ

(アラン「幸福論」角川ソフィア文庫 “あとがき”より)

写真:アランの授業風景=PPS

* * * * 

明日は入学式です。

入学式でお話しする内容を考えるために、いつものように校長室の本棚からあれこれ取り出して眺めていました。やはり、この本に行きあたりました。


アランはこうも書いています。

「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する。」
「気分というものは、いつも悪いものだ。幸福は意志と自制とでできている」
「自分で倒れそうだと思えば倒れるものだ。何もできないと思えば何もできない。自分で晴天や嵐を作り出すのだ、まず自分の内部に!!」


さて・・
なぜ勉強するのか?
なぜ「学校」に行かななければいけないのか?
家庭や塾では、学ぶことができないことが「学校」にはあるのか?

公立の学校は何を子どもたちに教えるのか?


実は、「答え」として、教育関連の法律に書いてあります。
教育基本法、学校教育法、学習指導要領などで、細かく規定されています。

とてもざっくりと大まかに言い切ってしまうと「生きる力をつけるため」です。

・ ・ ・

では、子どもたちが「生きる力」をつけて、どのような大人になってほしいと、皆さんは考えていますか?


保護者の皆さんは、子どもに「どのようであってほしい」と思っていらっしゃいますか?

・ ・ ・

私は、一人の子どもとして、私の父から「お前自身が幸福と思っているならそれでいい」と言われました。

私は今、一人の父親として、二人の子どもに「自分自身の物差しで、俺は今幸せだと言える人、感じることができる人になってほしい」と思っています。

そして、桃陽小の子どもたちにも、同じ想いでいます。

* * *

筆記テストでいい点を取るのなら、個人教授が最適です。

でも、
学習したことを現実の社会(共同体)で活かすことや、
誰かのために役立つ活動をするためのトレーニングは、
人の集まっているところが必要です。

そして
何かを作りあげたり、成し遂げた喜びも
一人より、誰かといっしょに、みんなで達成した時が
遥かに大きいのだと気付くのも
人の集まっているところが必要です。

幸福感も
自分一人が幸せであることより
誰かを幸せにできたときの方が
遥かに大きいことを感じるためには
人の集まるところが必要です。


たくさん友だちを作って、たくさん勉強して、いろいろな人との関わりを経験し学習し
、自立し、大人になっていく・・・

学校がそんな喜びや達成感を味わえる場所になったら、
どんなに素敵なことでしょう!!