学校日記

今日の一言 2月22日 戦後の話しをしたい

公開日
2017/02/22
更新日
2017/02/22

校長雑感 一隅を照らす

昨日に続いて、平和学習で講師として来てくださった吉岡さんのおはなしです。

平和学習というと、戦時中にあった悲惨な体験、爆撃や疎開のはなし、大切な人や物を失ったはなしが中心になります。

「戦時中のはなしを語り継ぐことは大切です。でも戦後すぐのころのはなしも是非語り継ぎたい。戦争で失ったことの大きさが分かる。」と吉岡さんはおっしゃいました。

〇戦後間もないころ、鶴橋駅にパラシュートが大量に降りてきたことがありました。アメリカ兵がこんなに大量に降りてくるのかとびっくりしましたが、実は、人が降りてきたのではなく、日赤病院にいたアメリカの傷病兵への支援物資だったのです。どうしてアメリカは日赤にアメリカの傷病兵がいることを知っていたのだろう。子ども心に、その情報力にアメリカに勝てるはずがなかった・・と愕然とした思い出があります。

〇玉造にずっと住んでいました。戦後3年目の運動会。焼け野原の中ですが、それでも親子そろって平和を満喫するような楽しい運動会が開かれました。その運動会に戦災孤児が招待されたのです。10数人の戦災孤児がやってきました。
その時の様子をよく覚えています。

今、こうやってみんなと話しているとき、目があいますね。

ところが、運動場に入ってきたこの戦災孤児とは、目が合わないのです。ずっと下を向いています。そりゃそうだと、あとから思いました。こちらは、親がいて楽しそうにしています。戦後です。何不自由なくとは言えませんが、それでも幸せです。そんな幸せな様子を彼らは見ることができるでしょうか。結局最後まで顔を上げることなく目を伏せたままでした。
なんと惨いことをしたのだろう。誰かがよかれと思って彼らを学校に連れてきたのでしょう。でも、なんと惨いことでしょうか。今思いだすだけでも涙がでてきます・・・

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