学校日記

今日の一言 5月8日 いじめについて考える その1

公開日
2017/05/08
更新日
2017/05/08

校長雑感 一隅を照らす

5月8日の「いじめについて考える日」に向かって、ゴールデンウィーク中に関連する本を読んでみました。

本の題名は、過激でぞっとするものが何冊もありました。

「いじめの構造・なぜ人が怪物になるのか」内藤朝雄(講談社現代新書)
「あなたのこどもを加害者にしないために」中尾英司(復刊ドットコム)
「あきらめの壁をぶち破った人々」中尾英司(日本経済新聞)
「反省させると犯罪者になります」岡本茂樹(新潮新書)
「いじめとは何か」森田洋司(中央公論)
「いじめ問題をどう克服するか」尾木直樹(岩波新書)

・・・

どの本も実際の事案を基に、様々な観点から「いじめ」を多面的に捉え、解決策を探っていく内容です。その中で、いじめる側に共通したところがあることが見えてきました。

それは、「いじめる子(人)は、意識が他者に向いてる」ということでした。

行動判断の基準が、自分の価値観になく、親や友だちなど自分を取り巻く人たちの価値観に左右されています。その価値観に対して「恐怖心」にも似た感情が付随します。
それは、自分を取り巻く人たちとの「つながり」を最優先にするというところに起因します。
「つながり」が切れないようにするために、そして切れてしまうのではないかという恐怖心から、自分の意志とは違う行動基準で、否応なく動かされていきます。

「一人でいること」は、自分自身も周りも許しません。

学校は「みんな明るく元気でなかよし」であることを良しとし、やはり一人でいることを許してくれません。

相手が何を考えているか・・という「相手に対する想像力」も、時により浅く表面的だったり思い込みだったりする場合もあります。

大切なのは「私は、人の気持ちが分からないかもしれない」「この人について、わたしの知らないことがあるかも知れない」という想像力です。

もし、この想像力さえあれば、自分と相手との間に適度な距離が生まれます。
人の領域に土足で踏み込むことも避けることができるのですが・・・・

・・・・

今朝の全校朝会で子どもたちに話したひとつ目の内容の根拠となるところです。

(つづく)