生魂小学校150年の歴史12
- 公開日
- 2025/08/26
- 更新日
- 2025/08/26
創立150周年記念関連
※学校だより8・9月号より再掲
昭和100年 そして戦後80年の節目の年
今年で戦後80年を迎えます。昭和15(1940)年、それまでの東平野尋常小学校から、はじめて生魂尋常小学校へと校名が変わりました。
戦争が激しくなり、昭和19(1944)年には、子どもたちは親から離れ、いなかの安全なところへ避難する「集団学童疎開」が始まりました。
生魂小の児童は先生といっしょに中河内郡枚岡町(今の東大阪市)に4か所に分かれて移りました。
昭和(1945)年3月13日の大阪大空襲で木造校舎は全焼し、校舎も使えなくなり、校区もほとんどが焼けました。(右の写真の上の方に生國魂神社の鳥居と下寺町交差点が映っています。)
集団疎開する前には、1181人もいた児童が昭和21(1946)年には146人まで減りました。学校も焼けて児童も少なくなったことで学校がなくなるという話もありましたが、当時の地域の人々の努力で学校が残ることになりました。
それから80年の今年、2025(令和7)年度の児童数は、312名となり、この10年間で約1.5倍の児童数になりました。